2012年もう一ヶ月終了。時間が経つのは早いもんで(2012/02/04)

01日本の最近のブログ記事

日本が変質したのはいつからか

昨年の総選挙以降、政権交代が起こってから民主党の酷さに頭にきまくっていてエントリーが偏っているなと。まぁ鳩山、小沢の政治と金の問題は単なる事件ですが、外国人参政権とか事業仕分けとか民主党政権になってから日本がおかしくなっているという危機感の表れなんですが。それは自民党時代からあったものですが、ここにきてそれが如実に出てるというか。自民も民主も同じ穴のなんとかですから・・・まぁ自民のがマシってだけで。

で、まぁ会社を辞めてからまだ離職票が届かないので仕事は探してるんですが何も進まなく暇な毎日なので毎日読書するくらいしか・・・膨大な一日の時間を潰す方法がないというか、ジムへ行って家で読書しての毎日です。なんか定年退職したオッサンみたいな生活だなと自分でも思いつつ、ゆっくり読書する時間なんて久しぶりに得たので良い充電期間だとポジティブに解釈してます。

最近は日本史に関する本を中心に読んでるんですが、日本が決定的に変質しだしたのっていつからだろうと本を読みながらぼんやり考えてたんですよ。よく戦後だと言われるんですが、まぁそれも間違ってはいないんだろうと思うんですよ。日本人たるのを忘れたのはね。でも、深層では明治からではないのかと。まぁもっと言えば黒船来航からですかね。日本人が狼狽したであろうあそこからではないかと。

江戸の鎖国時代は日本は他国から基本的には隔絶していて、あの時代に日本文化は独特で純粋に育った事も事実だと思いますが、外からの脅威を全く意識せずそれでいて国内での内戦もない状態が200年以上続くわけですよね。戦うことを忘れた時代が260年続いてるわけです。まぁ平和な時代だったわけですね。それが260年続く。そこに黒船っていう見た事もない軍艦がやってきたらそりゃ狼狽しますわな。誰でも。

まぁ日本全体が狼狽したんだろうと思います。そうなりゃもう幕府に事を治めるだけの能力なんてありませんわな。紆余曲折あって近代化へ進み出すと。そこで色んな欧米文化を入れるわけですが、あまりにも急速にやりすぎたんじゃなかろうかと思うんですよ。日本は漢字文化を知ってから実に長い時間をかけて漢字を取り込んで自分のものにしていくわけですが、欧米文化については全く無批判に受け入れすぎたんじゃなかろうかと。

この辺りから、日本人は新しいものが出てくると古いものを全く否定してしまう悪い癖をつけたような気がします。良い物は良いといって残すことがなくなったような気がしますね。物の本質を見極めることを止めてしまうというか。古いものを古臭いと一概に決め付ける癖というか。昔から日本人は外国文化をうまく取り入れてきたと思いますが、それも日本人に合うように日本風に変えてきた結果だと思うんですよ。今はもう入ってきたら彼の国ではこうだからこれが常識だという具合でしょ。

不況になったら散々怠慢やらかしただけなのに、日本型の経営はダメだとか。それで世界に通用する競争力を身につけた事は無かった事にしたり。欧米型の実力主義とやらをそのまま導入してギスギスした社会を作り出す。あんなの一回入れたらなかなか止められないよ。だって欧米型の経営は経営者にとって旨すぎるんだから。明治期に欧米型システムを導入して、その上にまた欧米型を上塗りしたようなもんですからさらに悪くなってる。

もう、古き良き日本なんてこの国のどこに残ってるんですかね。日本精神とか日本文化ってどこにあるんですかね。日本人が日本文化なんて古臭いと全否定してきたような気さえするんですよね。明治から緩やかに日本文化の破壊が始まって戦後急速に勢いを増した気がします。欧米文化のあまりにも急速な導入の弊害と言うか。明治の知識層が無能だったというよりは、日本全体が狼狽した結果であろうと。明治の元勲でさえ冷静に状況を見渡せなかったんだと。

なんか、そんな事を考えながら憂国気分になっている今日この頃。

日本史について勉強する

最近というかここ5年くらいですかね。保守的な言論を読むようになってから、まぁ目から鱗というか(そもそも馬鹿すぎて常識も知らなかった)そういうことが少なくないんですよね。なんと、自分は観念的に事実関係も知らずに物事を感覚と思い込みで捉えていたんだろうという恥ずかしさがあったんですよ。まぁ最初は色々と本を読み漁って、理論武装してこの思想を啓蒙していこうとか思っていたんですが、最近ではそもそも俺は日本人なのに日本の歴史って知らないなと感じてから日本史に関心を持っています。

それまでは、この国がおかしくなったのは大東亜戦争以後だとの認識から近現代史でも特に大東亜戦争に関する本を多く読んでいましたが、そもそも日本史を知らないんじゃこの時代の動きとか本質がわからないんじゃないかと思ったのがキッカケで日本史を知ろうと思ったわけです。まぁ少年老い易く学なり難しと言いますが、まさにという感じで30歳手前にして義務教育レベルの社会科の勉強をするという始末であります。これがなんで子供時分にやる気にならなかったのかと・・・

そりゃ学校で使う教科書ってつまんないですからね。日本の古代から現代に至るまでを薄い本で網羅しようとしてるわけですから内容が薄弱で面白くありません。話が逸れそうになってきたので本題に戻して、日本史を知ろうと思って本屋に出掛けたけど「書いている人をしっかり見極めて買わないといかんな」と思ったわけです。でも何の予備知識もないわけですから誰が書いているものがいいのやらわからんのです。

そこで近現代史に限って言えばそれなりに知識を持っていたので、近現代史についておかしな言説を書いている人はまず外そうと。半島一利とか分厚くてホントそれらしく見える本が前後巻とかで置いてあって手に取りそうになりますが、これは前述の基準に引っかかるのでパスする。その他のタイトルは惹かれるけど聞いたこともない著者も入門編としては相応しくないのでパス。結局、井沢元彦の本を手にとって買いました。井沢元彦はまぁいいかと。入門編として書いたとか通史として書いたとか書いてあったので。小説家ですから読みやすそうだというのもポイントですかね。

この人、いわゆる井沢史観と言われるような独特の視点と推論で歴史を考察しています。史料に頼りすぎる史料絶対主義を批判して、その弊害も指摘しています。そこで、史料から読み取れる内容から常識的な人間の行動を推測して論を組み立てるという方式です。何年のいつに何が起こったというような教科書的な書き方ではないので、日本史が面白いです。まぁ井沢元彦の書いている事が歴史学的にどうとか、そういうことはわかりませんが史料に基づいてこういう理由でこうだと説明する内容に納得がいくので個人的には気に入ってます。

そもそも、歴史学の分野で常識とされていると書かれている事を真っ向から否定する場合があるんですが、それがホントに常識とされているのかどうかは知りません。でも、何故否定するのかという理由が読んでいて「なるほどな」と納得させられるので、まぁ井沢史観を自分は採用しています。歴史学では「正史」に載っていることのみを真実と捉えるらしいのですが、井沢さんはこれは間違いだと言っています。正史とは時の権力者が自分に都合のいいように編纂するものですから、事実だとは言えないと。

そりゃ基本的に事実ですが、疑わしいことは多いと。それは日本書紀ですら疑ってかかるべきだと。日本書紀にこう書かれているからそれが一概に正しいと言うのは間違いだと。自分としてはなるほど目から鱗です。もう日本史に関する本も何冊か読みましたが、やっぱり古代から平安時代にかけての歴史は少し頭が混乱するんですよね。朝廷とか武家とかが出てきて、登場する名前もなんとか天皇とか・・・まぁテストを受けるわけでもないから概ねの流れさえ掴めればいいと思ってますので肩肘張らずに読んでますが。

自分は基本的に、本を読むときには「同じところを読み返さない」というのが基本です。気になる部分は付箋をしておいてあとでそこだけ読む。読み進めている時には絶対に読み返さない。あるんですよ。意味のわからないというか、気になるというかね。????どういうこと????ってことは。そこで読み返して理解するまで止まっていては本は読み終わらないという事を3年ほど前に自覚してから止めました。まぁそれに著者の主張にそこまで悩んでいても疲れますし。どうしても気になる部分は読み返したりしますけど、それでも「こいつ意味わかんねぇ」で終ることもしばしばあります。

日本史は面白い。そして、そこから自分で見えてくる価値観もある。まぁ自分の場合は、出発点のこれはなんかおかしい!こりゃ調べなければ!から、最近は歴史を知ることによって自分の価値観を補強するというか、価値観を確立させたりというような人間力形成に使っています。これはこれで正しいんだ!っていう信念を持つ為の作業ですかね。まぁ一種の自分にとっての宗教みたいなもんですか。人間何が正しいものかを信じられなければダメだと思います。自分の場合は直感を補強するツールが知識であるということですかね。

これが正しいと思い込む力ってのは重要ですよ。人の価値観に追従するのは楽ですけど、自分はそれでは納得いかんのでね。いやぁ日本史を知って余計日本が好きで日本人である事に誇りを持ちます。綺麗事だけでは語れないのが歴史ですが、それもまた歴史です。日本人の美徳なんて薄っぺらな言葉じゃないんですよね。歴史を知れば。血を流して犠牲を払いながら受け継いできた国の伝統なんですよね。今の日本を後世でどう語られるのかなぁなんて妄想してる今日この頃。

平成22年成人の日

今年も成人の日がやってきました。元旦を除けば初めての祝日です。なんかいつからだったか連休にする為に(ハッピーマンデーだっけ?)1月の第2月曜に変わったんですよね。当方が成人を迎えた時には成人式の案内はきましたけど、なんか参加は抽選制だった気がする。会場に新成人全員は納まりきらないんですかね。当方は思春期を過ごした時期とは違うところに住んでいたので行っても知ってる人いないという理由で行かなかったと記憶しています。

だから成人式の思い出と言っても特にないというか。飲みに出掛けたわけでもなければ普通の休日として過ごしたような気がします。それから何年後かくらいに新成人が酒に飲まれて式をぶち壊したとか暴れたとかいうニュースが各地で出始め、今になってもそういうニュースは毎年の恒例のようになっています。今年も出てましたね。だいたいが酒に飲まれて起こす不祥事のような気もしますけど。酒は飲んでも飲まれるなって今はあんまり言わない気がしますけど、そういうことって教えないんですかね。親が。

まぁそもそも大人としての振る舞いを身につけなければ恥ずかしい年齢ですよというのが成人だろうと思うんですが、今は別にそういうわけでもなく酒やタバコをやって問題のない年齢になったというだけになった感じもします。成人年齢を引き下げるとかどうとかいう議論があるようですけど、成人としての定義をハッキリさせないとね。単にタバコや酒なんかの嗜好品を嗜んでいい年齢とか選挙権のある年齢というのが。全ての責任が自己責任になるという意識が薄い以上は別に成人年齢が18になろうが20であろうがどっちでもいいというか。どっちにしろガキなんだろっていうだけで。モラル意識が重要な問題なんだっていうところだと。

どっかのblogで「親は子供の機嫌を取ってはいけない」と書いてあったんですが、その通りだなと。まぁ当方にとっても耳の痛い話ではあるんですが、早い話が親の過保護が社会の幼稚化を招いているというか。人の親ではないので偉そうな事は言えないですが、親を殺しただの子供を殺しただのと言ってるかと思うと日本はまだまだ子供に甘い親が多いのかなと。可愛い子には旅をさせろとはよく言われますけど、言いえて妙ですよね。当方も親には高校を出たときに言われましたが、「どこか親の目の届かないところで社会に揉まれて生きなさい」と。自分以外に頼るものがないという状況で生きる事で人間は成長するんだと。まぁ30歳を目の前にして「あぁそうかもなぁ」と思っています。

社会的に見るとまだまだ若い30歳目前の当方ですけど、若いと言われるには若いわけでもないわけで。この頃よく思うのは「少年老い易く学なり難し」って言葉です。やっぱり勉強はやり始めて遅いってことはないんであって、若いうちにやるほど身になるというか飲み込めて血肉になるっていうことですよね。学齢を過ぎてからやっても覚えは悪いし、仕事の傍らにやるわけですから身につきにくいですし。まぁ歳食ってからやる勉強ってのはだいたい必要に迫られてとかいう事が多いわけですけど。何にしろ基礎が出来てないと苦労します。これは実感として思いますね。

親からは「若いうちに勉強しとかないと後で後悔する」と口酸っぱく言われてましたが、その時はうるせぇ馬鹿くらいに思っていたんですが、今になってあぁあの時やっとけばなぁなんて思うことも少なくはないですよね。そんな事を話してた時に「まぁ後悔先に立たずだけどね。学生の頃に戻りたいと思っても無理だし」とか言ったら「戻ったってやらなかったもんはやらないよ」と言われました。まぁそうかもしれないな。今学生ん時に戻ったら勉強するとか言っても多分戻ったらやらないだろうな。まぁそこが本質ですよ。そういう奴なんだっていう。

今年の成人式のニュースを見ていて、例年のように新成人が騒ぎを起こしたって言ってるけど大人がそんなことに眉間にシワを寄せられた立場かと思ったんですよね。確かにそりゃモラル意識の欠如は憂うべき問題ですけど、そもそもそういう子供を育てたのは大人なんですからね。やっぱり鏡を見てるんだと思って反省すべき点もあるだろうと。自分の子供が成人する世代の大人は反省すべきでしょうと。もちろん問題を起こした新成人は大人になったんだから、自分の事は自分で律して子供を卒業しなければならないという気持ちを新たにすべきだろうとは思いますけど。こういうことはどこでもニュースになるようになりましたしね。

これからの日本を背負う世代ですから、共に日本を繋いで行きたいですよ。まぁ大まかに見れば同世代みたいなもんですし。とにかく新成人の皆さんおめでとうございます。

これはどういうことなんですか?うちのバアチャンは韓流歴史ドラマ大好きなんだそうです。それは前から知ってたというかバアチャンの使ってるカレンダーにはゴミの日だの病院へ行く日だのと並んでチャングムだのと書いてあるので見てるのは知ってたんですが、なんか韓国ドラマのビデオがたくさん置いてあるのを見て大好きなんだなと(笑)もう90歳になろうかという年寄りなんですけどね。

まぁそこで「何が好きなん?」と聞いたら「面白い」という答えが返ってきた。面白い・・・一度だけ一緒に見た事があるんですけど、ん~日本の大河ドラマ見てるようでした。まぁ大河ドラマ好きだから、同系統のものは面白く映るんですかね。で、「こんな嘘八百の事実関係無視したもの見てたらアカンで」って言ってみても、全く無反応で見てましたけどね。知らないって事は怖いもんだと。情報弱者は怖いんですよ。己の情報不足に認識がないのと、自分の常識の枠内から出られないという。

その少し前にネットの動画サイトで従軍慰安婦問題の事を見たりしていたので、「従軍慰安婦ってのはホンマに居たん?」って聞いたら「当たり前や!」と来た。こっちはびっくり仰天しましたよ。そんな答え考えられなかったもので。戦地に行った事もなければ、近い身内で外地へ出征した人も居ないような人が従軍慰安婦の存在を断定したんだから。「あれは嘘やって言うてる人らもおるで」と返したら「いい加減なこと言うたらアカン。バアチャンは知ってるんやから」え?え!?なんで知ってるのか。

まぁ聞いていくうちに段々と内容が見えてくるんですが、突き詰めると売春をやってた人と従軍慰安婦を同一視している。

「アホな事言うたらアカンで!従軍ってついたら軍属の事やで。軍が売春やる女を連れて歩いて戦争してたっていうんか?考えられへんわ。それに日本軍とか政府がそんな事を主体的にやってた証拠なんかないやろ」

それからも続く続くバアチャンの自説は「慰安婦は無給で売春させられてた」とか「騙されて連れていかれた」だのと。最後には朝鮮人の徴用のことまで。どこからの話でそんな事を言うのかと思ったら、全部ソースは戦後の報道からですよ。慰安婦は多額の報酬と引き換えに売春をやってただけの人。誰に騙されたかどうか知らんけど、日本政府が画策した政策ではないこと。その事で日本政府や日本人に何の責任もないことを言った上で説教をしてしまいました。

「戦争中を生きた人がそういう事を言うと事実として受け取られるんやから罪が深い。聞いたら言うてることは戦後垂れ流された報道が根拠やないか!いい加減なこと言うて日本人を貶めたらあかんで!だいたい朝鮮人を徴用したって、日本人も同じように徴兵されたやろ。朝鮮人はあの当時日本人やったんやろ?同じように扱って問題あるか?嫌やったとかそんなん関係ないで。日本人でも赤紙回ってきて嫌やけど戦争に行った人は多いやろ。それと何が違うねん!」

と、ここまで言ったら「あんたは考えが古い」と(笑)一体どういうわけでしょうか。もうね。そこで思ったんですよ。わが身内を基本に置いた持論ですけど、昔の人は凄かったとかね。もう基本的には幻想ですわ。一般の日本人なんて所詮今も昔も馬鹿ばっか。日本は国民国家だったなんて冗談じゃないのかと。そもそも政治とか国家とか自分のバックボーンになっているようなことに全く無関心だったんじゃないのかと疑うんですよ。それこそ政治家と役人に丸投げしてきたんじゃないですか。難しい事はわからんから難しい事が分かる人たちに任せようと。

まぁそれがね。近代化した明治からしばらくは良かったんでしょう。政治家も役人も志のある人が少なからず居たんでしょうから。そもそもだからこその政治家と役人だったわけだから。それが時間が経つと任せるのが当たり前で、参加意識がない。そもそも理解する気もないもんだから政治家と役人のやりたい放題になっていったんじゃないでしょうか。監視する機能がなかったんでしょう。政治家や役人に仕事をさせるというよりは、国民が飼いならされていたんじゃないですかね。無知なことは恐ろしいということが分からないほどにまで。

なんか、身の回りであった些細な出来事だったですが何故そんな発想、思考に達するのかと考えてたら、そんな事を思い浮かべてしまいました。戦中を生きた人だからってだけで、その人の言うことなんて一概にアテにゃならんというのがわかっただけでも経験でしたよ。少なくともエリート層というんですかね、一定の知的訓練を受けた人たちならともかく、一般人の言うことなんてその時代を生きていようが根拠にはなり得ないんだなと実感しました。

バアチャンのメンタリティーでは「売春なんて普通の人がやる事じゃない」というのがあるそうで、日本人相手に売春やらされていたのなら内容はどうあれ謝って当たり前だということだそうです。日本人の基本的モラル意識を基準に置くのでそういう判断になるんですね。売春なんかはマトモな感覚では出来ないという。まぁそりゃ普通はそうですよね。でも、つくづく思ったんですよね。表題に掲げたことを。

世の中がこれでは結婚どころじゃない

>結婚しない、生まない(愛媛新聞社online)

引用元URL ehime-np.co.jp/rensai/chijiku/ren018200912073655.html

 

なんか最近は色々な事を書きすぎているようですが、なにしろ暇なので仕方ない。在職中は「あ~1ヶ月くらい、いや半月くらい休みならどれだけいいだろう」と思ったものですが、そりゃ仕事があってのことであってずっと休みだとそりゃ辛いもんです。ていうか、40日もただ休みで動きが制限される事がこれほど暇になるものかと。暇すぎて部屋の掃除したりして部屋がえらく綺麗になってるとかは良い効果だろうか。あちらこちらに散乱してた本だとか書類を整理するだけでもかなり気持ちが良い。

で、引用した記事から感じたこと。

この記事に賛同するわけでは決してないんですよ。意見は少し自分とは違うので。若者が結婚しないのではなく出来ないのではないかという内容のようですが、記事でも触れられていることなんですが「現実と理想のギャップ」と言う事なんでしょう。結婚とは自分が楽する為にあるもんじゃないってことですよね。経済的に苦しいのは嫌で、今以上に自由が制限されるのも嫌なんて言ってたらそりゃ結婚は無理でしょう。幸せを絵に描いたようなドラマとか映画とか小説とかそんなものを基準にしてりゃそりゃ無理だ。

東京の25~34歳未婚女性の7割が、結婚相手として考えられる男性の年収を400万に設定しているそうだ。記事では男性の8割が漏れると書いている。手取り収入の事を言ってるのか総収入の事を言ってるのかわからないけど、手取りの話でしょうね。普通に年収っていうんだから。手取りで年400万以上もらおうと思ったら単純に計算したら月33万円以上必要ですよ。まぁサラリーマンなら賞与もあるので実際にはもっと少ない額でいいんですけど。

まぁ男性の8割が漏れるのはわかる。しかし、その400万以上という数字がどこから出てくるのかは不明なんですが、大半の男性が得ていないところを設定するなんて結婚する気がないか、見果てぬ夢を見ているとしか。そりゃご自身に他人を寄せ付けないほどの美貌と包み込むような母性があって、その上男性を支えていくだけの知性があるなら分かる。鏡を見て言えとしか言いようがないなぁ。同じ事は男性にも言えるでしょうが。男女問わず結婚したい意志はあるのに出来ない人ってのはだいたい鏡を見て言え系の人だと思いますが。

内閣府の調査では「結婚をしてもしなくてもいい」という意見が7割にのぼったと。そりゃそういう社会を推進してきたんだからそういう結果になったのは当たり前でしょうに。別にこんなもんは若者の意識の問題じゃないよ。個を何よりも尊重する社会にしたんだから当たり前だ。結婚して家族を形成しなくても十分に生きていけるそんな社会だ。この国は。独身者であることが人格欠陥者だと見られない世の中になったんだから。まぁ多様である事に寛容な事は悪いとは思いませんが、大勢のあるべき姿として結婚してもしなくてもいいというのは正常だとは思いませんね。

「結婚しても子供は必ずしも必要だと思わない」が全体の4割。20~30代女性に限れば6割が賛成だとか。結婚して子供を作らないなら結婚なんてしなくていいと思いますが?キツイ言い方をすれば男と女が結婚までして子供を作らないなんてサルにも劣るというか。結婚するなら最低子供は二人作らないと人口維持出来ないでしょう。仕事が忙しくて育児に割く時間がないと言うのは政策の問題であって。だから女性は専業主婦が望ましいという日本社会の常識があったわけでね。

欧米並のプライベートを大事にする働き方ってのは無理があるんじゃないかと思うんですよ。この小さな日本が世界有数の経済大国であり続ける為には日本の会社の働き方が必要なんでしょうに。贅沢はやめられないし、プライベートは確保したいし、仕事はしたいし、結婚もしたいし、子供も欲しいしって馬鹿じゃないのか。この国が世界でも指折りの経済大国なのは男性が家庭を犠牲にしてまで働いてきたからじゃないのか?そして女性が家庭を献身的に支えて子供を育てる。

そんな自己犠牲の上に成り立ってきた裕福さじゃなかったのかと思うんだよ。満たされてくると次に欲求が膨らんでくるというけど、そういう状態が今の日本ではないかと。この記事の最後に「結婚しない」「産まない」は生き方でもある。しかし、その前に「こんな世の中では」がつくなら、間違いなく政策の問題だ。と締めくくられているのですがそこは賛成ですね。

仮に「こんな世の中では」がつかないとしたら、そんな生き方を是とする教育をした政策の問題だと思いますし。男女共同参画というのは一部の特殊な考えの人たちの為に多くの普通の人が犠牲になっていると考えられるわけで、弊害というより政策そのものが害悪であるような気がして仕方ない。

今日は大東亜戦争の開戦記念日です

今年も開戦記念日がきました。テレビ等を見てないので知りませんが、取り上げてますかね。主要新聞社のサイトでも目立った記事はないようです。朝日新聞が天声人語で触れていたのと、産経新聞が正論で取り上げてるくらいなんでしょうか。それもサイト内検索を使って抽出できた記事だから基本的には人の目には触れにくい。毎日新聞は岩手地方欄で終戦直前の艦砲射撃で被害を受けた云々を記事にしているようです。開戦記念の日なのに終戦直前のことを記事にする意味がわからないが。

まぁ負けた戦争ですし、盛り上がらないのは仕方ないんですかね。でも日清、日露の開戦記念日も盛り上がらないですが。大東亜戦争って当方は学校で「太平洋戦争」と習った記憶があるんですよ。戦争の呼び方については気にしてなかったと思いますが、あれはアメリカが太平洋戦争と呼称したので太平洋戦争と言うらしい。まぁ勝ったほうの呼び名を使うってことでしょうかね。一応日本政府も公式に太平洋戦争と言ってるようです。

でも、日本がやった戦争で多くの日本人が命を落とした戦争ですし日本人が決めた呼称を使う方がいいと思うので大東亜戦争という呼称をエントリーでは使っています。まぁこれも何かに書いてあったのかテレビで誰かが言ってたのか忘れましたけど、「日本のやった戦争だから、少なくとも日本人は当時の日本政府が決めた呼称を使ってほしい」とか。それに太平洋戦争と言うとなんかしっくりこないってのがありまして。日本は太平洋だけではないですしね。戦場にしたのは。そもそも日米戦争というよりはアジア解放戦争という意味ですから。

なんか、戦争を擁護するのはタブーだというような雰囲気が日本には根強いみたいですが、悲惨さとか被害を伝える事も大事ですけど、戦争に至る事情とかをもっと教えるべきだと思いますがね。そこを教えたら一概に日本は悪い国だったとはならないと思うんです。そもそも、当時の日本政府が独裁的だったとか、好戦的だったとか言うのは疑わしいですし。軍部にも好戦的な人は居たでしょうが、一番好戦的だったのは国民でしょうに。さっさと開戦して英米討つべし!とギャアギャア言ってたのはむしろ無責任なマスコミとそれに誘導された国民だったはずなんですが。

やっぱり平和がいいわけなんですが、自宅に暴漢が入ってきても平和がいいとは言ってられないのと同じように、降りかかる火の粉は振り払うべきなんであってね。しかし、世界の歴史を見るといつも戦争の惨禍を招くのは軍人じゃなくて文民な気がします。文民統制ってホントにいいものなのかどうか疑問に思う理由なんですが。経済に無知な人が経済政策を決められないのと同じ理屈で軍事のことは軍人に任せるべきなんじゃないでしょうかね。そこから出てくる結論を参考に決定を下すのが文民統制のあるべき形ではないかと。軍の枠組みまでを無知な人間が決めるのは本末転倒だと思います。

別にね、どこそこの戦闘で日本の部隊が非常に強くて活躍した。とかなんとかって人は空中戦が強くて敵の戦闘機をバタバタ落としたとか、そんな話をする事だって別に悪くはないんですよ。日本人のナショナリズムが高揚するのは悪いことですか?もう70年近く前の出来事を何言っても大昔の話で現実の話として受け取ったりしないと思いませんか。国を守る為に戦った昔の日本人は強くて勇敢だったということの何がいけないんでしょうかね。このご時世で国民意識の高揚を図る為の戦争プロパガンダなんて必要ないし、事実を知る権利であって。

戦前の話になると何かと戦争と結びつけたりしますけど、日本人は日本に生まれた事に誇りを持って日本を愛する国民である事を目指す事の何がイカンのかと。日本人が日本人たり得るというか、日本人としての誇りある教育を受けようと思ったら戦前の話になるのは当たり前だと思うんですよ。日本人が自分たちで決めた教育をやっていた時代なんだから。まぁ小難しい事は言ってもキリがないのでこのあたりで終わりにしてですね・・・

今の日本を見てると、日本人ってのはいつまでも成長してないんだなと思うんですよ。大東亜戦争後は後ろを振り返ることを止めてしっかり総括してこなかったが故なんでしょうが、ロクに見通しもないのに英米討つべし!と言ってたときと何も変わらないなと思うんですよ。自民党がダメだから民主党に雪崩を打ったように変わるなんてね。民主主義において政治と官僚が腐敗するのは国民の政治に対する無関心と無知が原因だと思うんですよ。全部人任せなのに、アレがダメだこれがダメだと。選挙にも行かない奴が政治が悪いから景気がいいだの悪いだの派遣切られてどうだのこうだの。何もやらないんだったら黙ってろと思うんですがね。戦争アレルギーが原因で日本はいつか来た道を通ってる気がしないでもないなと思った今年の開戦記念日。

日本軍が圧勝した「特殊情報戦」

高山正之著 「オバマ大統領は黒人か~変見自在~」(新潮社)より転載

日本軍が圧勝した「特殊情報戦」

昭和十七年秋、第四十八師団がポルトガル領東ティモールに進駐した。

理由は二つあった。一つはこの島がオーストラリアの最も近くに位置し、オーストラリア軍が反攻に出るとき、その最前線になるからだ。

もう一つの理由はおかしな話だが、ここを支配するポルトガル人総督らの保護にあった。この国は戦前から日本に友好的だった。

日本がアジアに向けて航空路を開設しようとしたときアジア諸国を植民地支配する米英仏蘭はそろって日本機の乗り入れを拒絶した。

飛行機は白人の偉大さの象徴だった。それを日本人がやって見せたら白人神話が綻びるからだ。

そんな中でポルトガルだけがOKを出し、日本からパラオ経由でこの東ティモールまで日本製の大型飛行艇が飛んだのである。

やがて日米開戦。日本はフィリピンをもつ米国を叩きマレーの英軍を潰し、インドネシアに進駐してオランダ人を追っ払った。

ティモール島で云えば蘭領の西半分は支配者の白人が追い出され、島民は解放されたが、ただ東半分は日本の友好国ポルトガル領ということで白人の植民地支配は続いた。

島民にはその違いが解せなかった。日本軍がやってくれないなら自分たちでやる。島民はポルトガル人と見れば石を投げつけた。

ポルトガル人は現地の女に産ませた混血児を島民支配に使っていた。島民はこの白人顔を鼻にかける混血児を最も憎んで襲い掛かった。

これを仲裁したしたのが日本軍で「植民地政府には島民を苦しめる人頭税を廃止させ、島民にも襲撃をやめるよう説得した」とここに駐屯した山下信一元昭和女子大教授は語る。

島民も税金が消え、塩も専売でなくなって大喜びして仲裁を受け入れた。

駐屯して一年が過ぎたとき南部の村からオーストラリア軍のスパイが侵入したという通報があった。

日本側は村人の協力で道案内のポルトガル混血児ピリスとオーストラリア軍のエルウッド軍曹、それに荷物運びの現地人の計五人を無傷で捕らえるのに成功した。

日本軍の兵員数、火器、飛行場の状況などを調べてそれを暗号で送信するというのが彼らの任務で、暗号表も押収できた。

スパイは戦場ではすぐ処刑される。しかし日本側は彼らを殺さない代わりに、協力を求めた。契約は成立し、日本軍のインチキな部隊行動を織り込んだ電文が打電された。

オーストラリア側は何の疑いも持たず、スパイ活動に必要な食糧や医療品などを指定場所に投下すると返事してきた。

日本軍の一人がエルウッド軍曹に付き添い、指定の河口で待つとやがてB24爆撃機が飛来し落下傘が投下された。

日本側はこれに味をしめラッキーストライクなどタバコや医療品、食料品等不足している物資を次々と無電で発注した。

オーストラリア側は律儀に応じてB24や双胴のP38が飛んできて注文品を投下していった。

翌十九年、オーストラリア軍は反抗が間近に迫ったらしく新たに諜報員数人を送り込んできた、日本側はこれも島民の協力で拘束した。

反攻は秒読み段階にあるようだった。それで「日本側は兵力二十万、陣地は堅牢」と実際の十五倍に近い数字を打電し続けた。

おかげでオーストラリア軍はとうとう東ティモール侵攻計画を実施しないまま昭和二十年夏を迎えた。

そして八月八日。「いい情報だ。日本は無条件降伏した」の電文が届く。

日本側は驚くが、事態を理解し返事を送った。

「長い間、貴重な情報を感謝する。日本軍司令官」

翌日、オーストラリア軍から「貴官の通報に接し驚愕に堪えず。よろしく当方の将兵を保護されたし」と電信が入った。

一週間後の八月十五日に日本降伏が発表され捕虜は帰還した。

オーストラリア側はこの件についてはあまり自慢にならないからか無視を決め込み、丸二年間、オーストラリア軍を騙して物資を貢がせてきた我が東ティモール守備隊には一切の咎めはなかった。

この島について朝日新聞や北海道新聞は「島民を虐殺した」の「占領した」の好きに嘘を並べてきた。

意味のない自虐は止めてたまには老兵の話を聞いてみたらどうか。

このケースでも連合軍側は長崎原爆投下前に日本の降伏を知っていた。

日本は「十日に受諾」が公式の歴史だ。トルーマンは駆け込みでプルトニウム型原爆を投下させたのか。まともなジャーナリストだったら、これだけでも面白いと思うところだが。

(2008年1月3日号)

民主党政権は国民の期待に応えることが出来るか

事前の予想通り民主党圧勝。自民党が惨敗したことは政治不信がそこまできたかと言う感じで日本の政治が変わるのか?とも思いますが、民主党が期待に応えられなければ参院選で手酷い事になるんでしょう。なんでもかんでも反対の民主党と言われた政党が政権政党となって何が出来るか見物ではある。今まで反対していた政策にも妥協を強いられる事になるだろうし、その時に何と言い訳するのやら。

それに社民党と国民新党と連立内閣ですか。これだけ圧勝しておいて。参院で過半数がないとは言ってもこれだけ圧倒的な議席を取って連立ですか。民主党は国民が期待するほどの成果を上げられないんじゃないですか?国民新はいいとしても、社民党とはダメだろう。この連立は民主党内からも国民からも失望を買うような気がしないでもない。外交安全保障で絶対折り合えないだろ。突っぱねられるか?こりゃ衆院は4年持たない。4年解散しないって意地張ってもしなきゃいけなくなるような気がするね。今から連立に不安があるんじゃ解散に追い込まれるのは確実でしょ。

参院選で民主が勝っても単独過半数取れるかな?自民党と大連立で超安定内閣なんて事になりゃしない?社民党は社会党時代の失敗を繰り返すな!って雰囲気があればあるほど政府の不安定要素になるだろうし、社民党が存在感を発揮しようとすればするほど国民新も頑張るだろうし、グダグダの妥協を繰り返して結局何もしない何も決めない状況になるじゃないの?民主党内部からもスキャンダル出てきてグダグダで総選挙なんて。日本の政治大丈夫ですかね。二大政党制なんて出来るのかホントに。ていうか、必要なのか。それが。

民主党が国民の大きな期待に応えられるかどうか。期待は大きければ大きいほど失望も大きいですからね。そもそも期待なんてしてないのか。単なる自民党反省しろ!バカ!って総選挙だったような気がするしね。自民党がまともな保守政党としての能力を備えてさえいれば最強なんだよ。結局この国の政治は。国民の生活が第一って言った政党が一体何をするのか。国民はよく見てなきゃいけないと思います。

ウイルスを撒き散らした厚生官僚

高山正之著 「オバマ大統領は黒人か~変見自在~」(新潮社)より転載

ウイルスを撒き散らした厚生官僚

米国女性の三人に一人は胸に自信がなくて何とかしたいと思っている。

だから60年代にシリコンを胸に埋める方法が開発されると一年間で三十万人が美容整形外科の前に行列を作ったという。

シリコンは二酸化珪素に炭素を加えたものだ。つまり石英と木炭が素。おまけに袋入りだから有害であるはずもない、米連邦食品医薬品局(FDA)も問題なしとした。

ところがやがてシリコンを封入した袋が破れて中身が漏れた。それで周辺組織に変調を起こした、例えば多発性硬化症になったとかいう話が広まった。

噂は噂を呼んで膠原病になった、免疫不全になったから、ついにはガンになったまで様々な症例が出てきた。

弁護士事務所が早速彼女らに食いつき、ダウ・コーニングやバクスター、ブリストル・マイヤーズなどシリコンに関わる大手企業を軒並み製造物責任法(PL法)で訴えた。

実はこの訴訟騒ぎのネタ元は日本だった。日本の豊胸手術はシリコンを袋にも入れず、じかに注入していた。それで様々な神経症やしこりが報告されていた。

米国の弁護士がそれを知って、袋が破れたら大変だ、と不安を煽って訴訟ブームを生んだ、というのがどうも正解らしい。

企業側はシリコンと病気の因果関係を科学的に否定してみたものの、日本の症例がある。陪審員を説得しきれなかった。

94年にはガンで乳房を切除したジュリー・マクマリーら三人が3M社から総額2790万ドルの賠償金を取っている。

集団訴訟を起こされたダウ・コーニングは30億ドル積んでやっと和解に漕ぎつけた。

米国では政府には無答責の原則があり、シリコンを認可したFDAが訴えられることはなかった。

ただ遊んではいなかった。訴訟騒ぎが起きるとFDAはすぐに豊胸にシリコンを使うことを禁じる一方、米医学研究所(IOM)に手術を受けた女性を全米規模で追跡調査させた。

その結果、シリコンとガンなどの間に何の因果関係もないことが分かった。

FDAは昨年、14年ぶりにシリコンを使った美容整形を再認可した。

あの訴訟騒ぎは結局、こすい弁護士が独り大儲けしただけのことだった。

ところでFDAはこのシリコン騒動の前に血液凝固を促すフィブリノーゲンの製剤が肝炎ウイルスを感染させるとして承認の取り消しを行っている。

この頃はB型ウイルスが分かっているだけだったが、後にC型も見つかる。実に見事な判断だった。

このとき、米国には日本のFDAこと厚生省職員が十七人も駐在していたが、誰もそれを知らなかった。英語が分からない上に毎日遊んでいたからだ。

だから日本国内ではウイルスまみれの製剤が治療に使われ続けた。

米国でC型が見つかった頃、厚生省は問題の血液製剤による肝炎発症例を確認したが、それでもこの役所は動かなかった。

この役所が動いたのは二十一世紀になってからだった。疑惑の血液製剤を投与され、肝炎ウイルスに感染した可能性のある患者を製薬会社に報告させた。

総数は480人。FDAならすぐに患者に告知し、患者もPL法で製薬会社を訴え、治療も始めただろう。

しかし厚生省は製薬会社の"犯罪"を確認しただけでせっかくのリストを倉庫に仕舞い込んだ。

それを命じた当時の宮島彰局長は「てっきり病院が対応したと思った」と答えている。もし役人に罪があるとしたら怠慢だけだと。

それは大嘘だ。官僚の思考はすべて「天下り先の確保」にしかない。

例えば防衛省は役所として新参だから天下り先を創出中で、装備品の納入業者に水増し請求させる。その水増し分で天下りを養わせる方式で、守屋次官はそれで捕まった。

道路公団の橋梁談合も同じ趣旨だ。仕事を回して天下りを受け入れさせる。

しかし古手の厚生省には別の技がある。監督対象の業者の不始末だ。

それを脅しのネタにして天下りを強要する。だから患者が死ねばもっと不始末度が上がる。宮島某が証拠を仕舞い込んだ意味がそこにある。薬害が出てこそ役人が潤う。

日本には米国の弁護士以上に性質の悪い輩がいっぱいいる。

(2007年12月27日号)

終戦の日

今年も終戦の日がきました。8月は広島と長崎に原爆が投下された日と終戦の日があるので、大東亜戦争に関する記事なりテレビ番組が多いようです。ここ数年ずっと思う事があります。当方は新聞を購読していないので、専ら新聞社のネット版を見てるんですが記事で目立つのは「首相や野党党首が靖国神社に参拝したかどうか」という記事ですね。これはどこの新聞社もトップページに見出しが出ています。

その数日前には「首相は行くか」「野党党首はどうするか」「参拝する予定の閣僚は」とか靖国神社に参拝するかどうかで騒いでいるわけで。当方は政治家としてこの国の舵取りをしようという連中なら靖国神社には参拝するべきだと思います。それが8月15日である必要はないですけど、春秋の例大祭でもいいわけです。靖国神社は国難によって命を落とした人たちを英霊として祀っているところと理解していますが、そのような場所に政治家が足を運んで参拝するのは当然のことでしょう。

そもそも、靖国神社には大東亜戦争で亡くなった方だけを祀った神社ではないでしょう。A級戦犯が云々かんぬんというのはどうなんでしょうか。あのA級戦犯として死刑になった人達は日本人から見れば戦死に準ずるものではないんですか?彼らが犯罪者だと規定する根拠は東京裁判だけでしょう。東京裁判自体が管轄権が明らかにされなかったいい加減な裁判です。誰がどのような根拠に基づいて行った裁判かわからないわけですから日本がその事にこだわる必要はないと思います。

ある一時期日本の政治を担っていた人たちでしかありません。戦争指揮に誤りがあったとして、そのことそのものが犯罪だとは思いません。彼らが戦争指揮の誤りによって犯罪者だとされるなら、証拠も明らかにない強制連行などを公式に認めた政治家が居ましたが彼らも拘束して裁判にかけなければなりませんね。日本の国益を著しく損なったわけですから。日本が戦争に突入するキッカケは自存自衛が大義名分であって、このままではとても主権は守れないと思ったからこその戦争だったと思います。その為に200万人以上の戦死者と80万人以上の死者を生んだわけですが、そのような犠牲を払って得た結果が今の日本です。戦場で死んだ人たちや特攻作戦で死んだ人たちが今の日本を見たらどう思うんでしょうか。

まぁ今の日本はその後に生きた日本人が作ってきたものですが、少なくとも日本人が日本人足り得るようにと命を落とした人たちに対して無責任であっていいのかと思うわけです。まぁ靖国神社を取り巻く様々な問題は象徴的なことのような気がします。靖国が戦死者を顕彰しているという事にしても、国家の為に命を落とした人たちを顕彰して何が問題なのか。国家という存在に対して命という代え難いものを捧げた人たちを称えるのは、国家が存続して繁栄していく為に必要な事ではないかと思いますよ?さもキチガイじみたような言い方に惑わされたり流されるのはどうかと思いますよ。

自分たちの先祖は立派だったんだ。そう思うことが嫌なんですか?周辺国の感情はあるにしても、それは日本国内のこととは少し違った問題だと思います。他人に配慮して自分のアイデンティティーまでも放棄するのは愚かなことではないですか?自分を持たないのは日本人に多いメンタリティーだと思いますが、確固として国に対する誇りと先祖に対する尊敬は持っていて非難される理由がありません。靖国神社へ参拝することが異常なことだとか、右だとか軍国主義者だとか排外主義者だとかおかしいと思います。左翼が言うことこそ異常で非常識であるとハッキリ言える。

靖国神社に参拝するということは、大東亜戦争が侵略戦争だったかなかったか、韓国や中国に酷い事をしたかしなかったか。日本軍は極悪非道で国の道を誤らせた原因だったかなかったか、軍は国民の敵か味方かとか、そんな事とは切り離して考えるべきことです。毎年8月になると靖国参拝がどうだ、戦争は国民を不幸にするという一連のキャンペーンを見て違和感を感じるところです。

余談ですが、テレビで終戦特集やらで特別ドラマとかよくやりますね。まぁそういうのが受けるからなのか、何かの意図があるのか知りませんけど「先の戦争が如何に国民を不幸したか、戦争中は如何に国民に不自由な思いをさせてきたか」みたいな目線のドラマやりますよね。防空壕だとか空襲だとか、学童疎開とか勤労奉仕とかテーマは色々ですけど必ず戦争末期の敗色濃い時期のものばかりですが、開戦当初に日本軍が快進撃を続けてたところとか、フィリピンからマッカーサーを追い出したこととかは取り上げないんですか?

真珠湾で奇襲攻撃を仕掛けて成功してから、ミッドウェーで負けるまでくらいのところはやらないんですかね。国民みんなが浮かれてる頃は国民生活はどうだったかとか、そういうのはやらないんですかね?バランスがないんだよ。日本で放映して日本のテレビ局が製作するんだから日本が強かった事とか、日本が開戦に至るまでの経緯とかドラマにして放映してみろ。終戦の日なんだから負ける直前の疲弊しきった日本人の風景じゃなくて、東京裁判の再現ドラマでもやれ。そこから日本がサンフランシスコ講和条約締結するまでとか、沖縄返還されるまでとか、そういう経緯で今の日本があるってことをやれ!それが日本のマスコミの使命じゃないのか?首相が靖国へ参拝するか、行ったら私的か公的かなんてことを聞くより余程意味のある事だと思うよ。

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