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今日は建国記念日です

2月11日は建国記念日です。これは敗戦してからGHQによって廃止されるまでは紀元節と呼ばれていたそうです。日本書紀によると初代天皇の神武天皇が即位した日として、日本が建国された祝日としてお祝いするという日です。アメリカで言えば独立記念日に相当する日ということでしょうか。

なんというか、建国というのが日本では歴史が古すぎるし独立のように勝ち取ったものとの意識がありませんから日本ではあまり意識されない祝日かなと思っています。しかし、明治以降は四大節の一つとして数えられていた祝日でもあります。日本人にとっては意味のある日ですから覚えるくらいはしておかないといけない祝日です。

何しろ神話に基づいていますから科学的な根拠はあまりないそうですが。いずれにしても、初代神武天皇が即位されてから日本という国が成立したと考えるわけですから、歴史的資料がなくこの日というのが難しいにしても建国記念の日を国民祝日としてお祝いする事は良いことだと思います。この2月11日は戦前までは我が国の本来の憲法である大日本帝国憲法が発布された日でもあるので憲法の日としても認識されていました。

なんか国民祝日の意味を知るにつれてですが、いつも思うことがあるんですよ。国旗国歌に反対する人たちがいるじゃないですが、多分今の日本人が一番最初に政治的活動に触れる機会というのが小学校での国歌斉唱での不起立だと思います。まぁ当方はそうだったと記憶しているというか認識しています。あれは子供心に違和感を覚えました。起立してくださいとアナウンスがあるにもかかわらず起立しない教師がいる。保護者がいる。猛烈な違和感だったと記憶しています。

今でこそ、色々な知識を持っていますが何の知識もない「日の丸は侵略戦争の象徴」とか教えられてきた身であっても、例え過去にそういうことがあっても日本人なのに国旗国歌に敬意を表して何故いけないのかと思ってたものです。まぁ国旗国歌に敬意を表さないといけない!という強い思いではないですが、国旗国歌に誇りを持てない国に生まれたという事に漠然とですが違和感を持っていました。それが今の自分に繋がっているのかもしれないですが。

で、国旗国歌に反対する人たち。もしくは日本という国の歩んできた歴史を臆面もなく否定する人たち。そういう人たちでも祝日はちゃんと仕事休むんですかね。それこそですよ、昭和の日とか天皇誕生日(天長節)とか、まぁそういう人たちにとっては違和感のある日なんだと思うんですがそこはなんの疑問もなく休むんですね。今日は自分にとっては祝日ではないから仕事しますとかいうことはないんですかね。まぁそういうとこがいい加減なんですけど。そこら辺が日本人の民族性でもあるのかなとは思いますがね。

まぁ当方も一つ一つ日本の歴史に理解を深められていますので、今日も一つ建国記念の日という意味について理解ができました。まぁこんなの小学校レベルで教育されて当たり前に知ってるような知識であって然るべきなんだろうと思いますが・・・まぁそこはこれから正常化していきましょうよ。ちなみに今年は皇紀2670年です。

日本史について勉強する

最近というかここ5年くらいですかね。保守的な言論を読むようになってから、まぁ目から鱗というか(そもそも馬鹿すぎて常識も知らなかった)そういうことが少なくないんですよね。なんと、自分は観念的に事実関係も知らずに物事を感覚と思い込みで捉えていたんだろうという恥ずかしさがあったんですよ。まぁ最初は色々と本を読み漁って、理論武装してこの思想を啓蒙していこうとか思っていたんですが、最近ではそもそも俺は日本人なのに日本の歴史って知らないなと感じてから日本史に関心を持っています。

それまでは、この国がおかしくなったのは大東亜戦争以後だとの認識から近現代史でも特に大東亜戦争に関する本を多く読んでいましたが、そもそも日本史を知らないんじゃこの時代の動きとか本質がわからないんじゃないかと思ったのがキッカケで日本史を知ろうと思ったわけです。まぁ少年老い易く学なり難しと言いますが、まさにという感じで30歳手前にして義務教育レベルの社会科の勉強をするという始末であります。これがなんで子供時分にやる気にならなかったのかと・・・

そりゃ学校で使う教科書ってつまんないですからね。日本の古代から現代に至るまでを薄い本で網羅しようとしてるわけですから内容が薄弱で面白くありません。話が逸れそうになってきたので本題に戻して、日本史を知ろうと思って本屋に出掛けたけど「書いている人をしっかり見極めて買わないといかんな」と思ったわけです。でも何の予備知識もないわけですから誰が書いているものがいいのやらわからんのです。

そこで近現代史に限って言えばそれなりに知識を持っていたので、近現代史についておかしな言説を書いている人はまず外そうと。半島一利とか分厚くてホントそれらしく見える本が前後巻とかで置いてあって手に取りそうになりますが、これは前述の基準に引っかかるのでパスする。その他のタイトルは惹かれるけど聞いたこともない著者も入門編としては相応しくないのでパス。結局、井沢元彦の本を手にとって買いました。井沢元彦はまぁいいかと。入門編として書いたとか通史として書いたとか書いてあったので。小説家ですから読みやすそうだというのもポイントですかね。

この人、いわゆる井沢史観と言われるような独特の視点と推論で歴史を考察しています。史料に頼りすぎる史料絶対主義を批判して、その弊害も指摘しています。そこで、史料から読み取れる内容から常識的な人間の行動を推測して論を組み立てるという方式です。何年のいつに何が起こったというような教科書的な書き方ではないので、日本史が面白いです。まぁ井沢元彦の書いている事が歴史学的にどうとか、そういうことはわかりませんが史料に基づいてこういう理由でこうだと説明する内容に納得がいくので個人的には気に入ってます。

そもそも、歴史学の分野で常識とされていると書かれている事を真っ向から否定する場合があるんですが、それがホントに常識とされているのかどうかは知りません。でも、何故否定するのかという理由が読んでいて「なるほどな」と納得させられるので、まぁ井沢史観を自分は採用しています。歴史学では「正史」に載っていることのみを真実と捉えるらしいのですが、井沢さんはこれは間違いだと言っています。正史とは時の権力者が自分に都合のいいように編纂するものですから、事実だとは言えないと。

そりゃ基本的に事実ですが、疑わしいことは多いと。それは日本書紀ですら疑ってかかるべきだと。日本書紀にこう書かれているからそれが一概に正しいと言うのは間違いだと。自分としてはなるほど目から鱗です。もう日本史に関する本も何冊か読みましたが、やっぱり古代から平安時代にかけての歴史は少し頭が混乱するんですよね。朝廷とか武家とかが出てきて、登場する名前もなんとか天皇とか・・・まぁテストを受けるわけでもないから概ねの流れさえ掴めればいいと思ってますので肩肘張らずに読んでますが。

自分は基本的に、本を読むときには「同じところを読み返さない」というのが基本です。気になる部分は付箋をしておいてあとでそこだけ読む。読み進めている時には絶対に読み返さない。あるんですよ。意味のわからないというか、気になるというかね。????どういうこと????ってことは。そこで読み返して理解するまで止まっていては本は読み終わらないという事を3年ほど前に自覚してから止めました。まぁそれに著者の主張にそこまで悩んでいても疲れますし。どうしても気になる部分は読み返したりしますけど、それでも「こいつ意味わかんねぇ」で終ることもしばしばあります。

日本史は面白い。そして、そこから自分で見えてくる価値観もある。まぁ自分の場合は、出発点のこれはなんかおかしい!こりゃ調べなければ!から、最近は歴史を知ることによって自分の価値観を補強するというか、価値観を確立させたりというような人間力形成に使っています。これはこれで正しいんだ!っていう信念を持つ為の作業ですかね。まぁ一種の自分にとっての宗教みたいなもんですか。人間何が正しいものかを信じられなければダメだと思います。自分の場合は直感を補強するツールが知識であるということですかね。

これが正しいと思い込む力ってのは重要ですよ。人の価値観に追従するのは楽ですけど、自分はそれでは納得いかんのでね。いやぁ日本史を知って余計日本が好きで日本人である事に誇りを持ちます。綺麗事だけでは語れないのが歴史ですが、それもまた歴史です。日本人の美徳なんて薄っぺらな言葉じゃないんですよね。歴史を知れば。血を流して犠牲を払いながら受け継いできた国の伝統なんですよね。今の日本を後世でどう語られるのかなぁなんて妄想してる今日この頃。

今日は大東亜戦争の開戦記念日です

今年も開戦記念日がきました。テレビ等を見てないので知りませんが、取り上げてますかね。主要新聞社のサイトでも目立った記事はないようです。朝日新聞が天声人語で触れていたのと、産経新聞が正論で取り上げてるくらいなんでしょうか。それもサイト内検索を使って抽出できた記事だから基本的には人の目には触れにくい。毎日新聞は岩手地方欄で終戦直前の艦砲射撃で被害を受けた云々を記事にしているようです。開戦記念の日なのに終戦直前のことを記事にする意味がわからないが。

まぁ負けた戦争ですし、盛り上がらないのは仕方ないんですかね。でも日清、日露の開戦記念日も盛り上がらないですが。大東亜戦争って当方は学校で「太平洋戦争」と習った記憶があるんですよ。戦争の呼び方については気にしてなかったと思いますが、あれはアメリカが太平洋戦争と呼称したので太平洋戦争と言うらしい。まぁ勝ったほうの呼び名を使うってことでしょうかね。一応日本政府も公式に太平洋戦争と言ってるようです。

でも、日本がやった戦争で多くの日本人が命を落とした戦争ですし日本人が決めた呼称を使う方がいいと思うので大東亜戦争という呼称をエントリーでは使っています。まぁこれも何かに書いてあったのかテレビで誰かが言ってたのか忘れましたけど、「日本のやった戦争だから、少なくとも日本人は当時の日本政府が決めた呼称を使ってほしい」とか。それに太平洋戦争と言うとなんかしっくりこないってのがありまして。日本は太平洋だけではないですしね。戦場にしたのは。そもそも日米戦争というよりはアジア解放戦争という意味ですから。

なんか、戦争を擁護するのはタブーだというような雰囲気が日本には根強いみたいですが、悲惨さとか被害を伝える事も大事ですけど、戦争に至る事情とかをもっと教えるべきだと思いますがね。そこを教えたら一概に日本は悪い国だったとはならないと思うんです。そもそも、当時の日本政府が独裁的だったとか、好戦的だったとか言うのは疑わしいですし。軍部にも好戦的な人は居たでしょうが、一番好戦的だったのは国民でしょうに。さっさと開戦して英米討つべし!とギャアギャア言ってたのはむしろ無責任なマスコミとそれに誘導された国民だったはずなんですが。

やっぱり平和がいいわけなんですが、自宅に暴漢が入ってきても平和がいいとは言ってられないのと同じように、降りかかる火の粉は振り払うべきなんであってね。しかし、世界の歴史を見るといつも戦争の惨禍を招くのは軍人じゃなくて文民な気がします。文民統制ってホントにいいものなのかどうか疑問に思う理由なんですが。経済に無知な人が経済政策を決められないのと同じ理屈で軍事のことは軍人に任せるべきなんじゃないでしょうかね。そこから出てくる結論を参考に決定を下すのが文民統制のあるべき形ではないかと。軍の枠組みまでを無知な人間が決めるのは本末転倒だと思います。

別にね、どこそこの戦闘で日本の部隊が非常に強くて活躍した。とかなんとかって人は空中戦が強くて敵の戦闘機をバタバタ落としたとか、そんな話をする事だって別に悪くはないんですよ。日本人のナショナリズムが高揚するのは悪いことですか?もう70年近く前の出来事を何言っても大昔の話で現実の話として受け取ったりしないと思いませんか。国を守る為に戦った昔の日本人は強くて勇敢だったということの何がいけないんでしょうかね。このご時世で国民意識の高揚を図る為の戦争プロパガンダなんて必要ないし、事実を知る権利であって。

戦前の話になると何かと戦争と結びつけたりしますけど、日本人は日本に生まれた事に誇りを持って日本を愛する国民である事を目指す事の何がイカンのかと。日本人が日本人たり得るというか、日本人としての誇りある教育を受けようと思ったら戦前の話になるのは当たり前だと思うんですよ。日本人が自分たちで決めた教育をやっていた時代なんだから。まぁ小難しい事は言ってもキリがないのでこのあたりで終わりにしてですね・・・

今の日本を見てると、日本人ってのはいつまでも成長してないんだなと思うんですよ。大東亜戦争後は後ろを振り返ることを止めてしっかり総括してこなかったが故なんでしょうが、ロクに見通しもないのに英米討つべし!と言ってたときと何も変わらないなと思うんですよ。自民党がダメだから民主党に雪崩を打ったように変わるなんてね。民主主義において政治と官僚が腐敗するのは国民の政治に対する無関心と無知が原因だと思うんですよ。全部人任せなのに、アレがダメだこれがダメだと。選挙にも行かない奴が政治が悪いから景気がいいだの悪いだの派遣切られてどうだのこうだの。何もやらないんだったら黙ってろと思うんですがね。戦争アレルギーが原因で日本はいつか来た道を通ってる気がしないでもないなと思った今年の開戦記念日。

終戦の日

今年も終戦の日がきました。8月は広島と長崎に原爆が投下された日と終戦の日があるので、大東亜戦争に関する記事なりテレビ番組が多いようです。ここ数年ずっと思う事があります。当方は新聞を購読していないので、専ら新聞社のネット版を見てるんですが記事で目立つのは「首相や野党党首が靖国神社に参拝したかどうか」という記事ですね。これはどこの新聞社もトップページに見出しが出ています。

その数日前には「首相は行くか」「野党党首はどうするか」「参拝する予定の閣僚は」とか靖国神社に参拝するかどうかで騒いでいるわけで。当方は政治家としてこの国の舵取りをしようという連中なら靖国神社には参拝するべきだと思います。それが8月15日である必要はないですけど、春秋の例大祭でもいいわけです。靖国神社は国難によって命を落とした人たちを英霊として祀っているところと理解していますが、そのような場所に政治家が足を運んで参拝するのは当然のことでしょう。

そもそも、靖国神社には大東亜戦争で亡くなった方だけを祀った神社ではないでしょう。A級戦犯が云々かんぬんというのはどうなんでしょうか。あのA級戦犯として死刑になった人達は日本人から見れば戦死に準ずるものではないんですか?彼らが犯罪者だと規定する根拠は東京裁判だけでしょう。東京裁判自体が管轄権が明らかにされなかったいい加減な裁判です。誰がどのような根拠に基づいて行った裁判かわからないわけですから日本がその事にこだわる必要はないと思います。

ある一時期日本の政治を担っていた人たちでしかありません。戦争指揮に誤りがあったとして、そのことそのものが犯罪だとは思いません。彼らが戦争指揮の誤りによって犯罪者だとされるなら、証拠も明らかにない強制連行などを公式に認めた政治家が居ましたが彼らも拘束して裁判にかけなければなりませんね。日本の国益を著しく損なったわけですから。日本が戦争に突入するキッカケは自存自衛が大義名分であって、このままではとても主権は守れないと思ったからこその戦争だったと思います。その為に200万人以上の戦死者と80万人以上の死者を生んだわけですが、そのような犠牲を払って得た結果が今の日本です。戦場で死んだ人たちや特攻作戦で死んだ人たちが今の日本を見たらどう思うんでしょうか。

まぁ今の日本はその後に生きた日本人が作ってきたものですが、少なくとも日本人が日本人足り得るようにと命を落とした人たちに対して無責任であっていいのかと思うわけです。まぁ靖国神社を取り巻く様々な問題は象徴的なことのような気がします。靖国が戦死者を顕彰しているという事にしても、国家の為に命を落とした人たちを顕彰して何が問題なのか。国家という存在に対して命という代え難いものを捧げた人たちを称えるのは、国家が存続して繁栄していく為に必要な事ではないかと思いますよ?さもキチガイじみたような言い方に惑わされたり流されるのはどうかと思いますよ。

自分たちの先祖は立派だったんだ。そう思うことが嫌なんですか?周辺国の感情はあるにしても、それは日本国内のこととは少し違った問題だと思います。他人に配慮して自分のアイデンティティーまでも放棄するのは愚かなことではないですか?自分を持たないのは日本人に多いメンタリティーだと思いますが、確固として国に対する誇りと先祖に対する尊敬は持っていて非難される理由がありません。靖国神社へ参拝することが異常なことだとか、右だとか軍国主義者だとか排外主義者だとかおかしいと思います。左翼が言うことこそ異常で非常識であるとハッキリ言える。

靖国神社に参拝するということは、大東亜戦争が侵略戦争だったかなかったか、韓国や中国に酷い事をしたかしなかったか。日本軍は極悪非道で国の道を誤らせた原因だったかなかったか、軍は国民の敵か味方かとか、そんな事とは切り離して考えるべきことです。毎年8月になると靖国参拝がどうだ、戦争は国民を不幸にするという一連のキャンペーンを見て違和感を感じるところです。

余談ですが、テレビで終戦特集やらで特別ドラマとかよくやりますね。まぁそういうのが受けるからなのか、何かの意図があるのか知りませんけど「先の戦争が如何に国民を不幸したか、戦争中は如何に国民に不自由な思いをさせてきたか」みたいな目線のドラマやりますよね。防空壕だとか空襲だとか、学童疎開とか勤労奉仕とかテーマは色々ですけど必ず戦争末期の敗色濃い時期のものばかりですが、開戦当初に日本軍が快進撃を続けてたところとか、フィリピンからマッカーサーを追い出したこととかは取り上げないんですか?

真珠湾で奇襲攻撃を仕掛けて成功してから、ミッドウェーで負けるまでくらいのところはやらないんですかね。国民みんなが浮かれてる頃は国民生活はどうだったかとか、そういうのはやらないんですかね?バランスがないんだよ。日本で放映して日本のテレビ局が製作するんだから日本が強かった事とか、日本が開戦に至るまでの経緯とかドラマにして放映してみろ。終戦の日なんだから負ける直前の疲弊しきった日本人の風景じゃなくて、東京裁判の再現ドラマでもやれ。そこから日本がサンフランシスコ講和条約締結するまでとか、沖縄返還されるまでとか、そういう経緯で今の日本があるってことをやれ!それが日本のマスコミの使命じゃないのか?首相が靖国へ参拝するか、行ったら私的か公的かなんてことを聞くより余程意味のある事だと思うよ。

12月8日は開戦記念日ですね

今日は大東亜戦争開戦記念日。あんまり見てないけどニュースでは全然やってないみたい。停戦した8月15日には散々やるくせに開戦記念日はやらないんだ。まぁ戦争というのは悲惨な事も多いし、国民が不自由を感じることも多いだろうけど、それを全て否定するのは思考停止じゃないだろうか。日本が戦争に至るまでの経緯をしっかり見れば、今のような歴史観にはならないはずだと思うんですがね。

前航空幕僚長が「日本は悪い国ではなかった」「侵略なんて濡れ衣だ」と言ったら袋叩きにされたわけですが、事実関係で間違っている部分があるだのないだのは置いとくとしても自分の国に誇りを持つことのどこがいけないのか。自分の国を正当化して何が悪いのか。反省する事が必要ないというのでなしに、自分が生まれた国はこんなに良い国だと言うことのどこがいけないのか。少なくともそれぞれの時代の価値観なり現実を加味すれば日本は他国から侵略国家だの言われる筋合いはないはずですが。

そもそも日本は早く明治憲法に戻すべきだ。いつまで押し付け憲法なんだよ。現憲法を廃止して明治憲法に戻してそれを時代に合うように改正すべきだっていう解釈が一番しっくり来たよ。今の憲法を改正するんじゃなくて日本人が作った憲法に戻すべきなんだと思う。自国を自国で守れない国なんて時代関係なくあり得ないんだから。自国は自国で守る。自前の軍隊を整備して自前で守る。他国領土を攻撃できる能力を持つ事がイコール侵略になるなんて定義がどこにあるのか。

この国が普通の国の安全保障感覚になるには一度手酷い目に遭わないとダメなんだろうか?そこで初めて目が覚めるのか?それでも覚醒しないんじゃないだろうか。どちらにしても怪我してから対策するなんて、そんな泥縄式の安全保障じゃダメじゃないのかと思うけどね。自衛隊はしっかり整備してるって聞くけど、縛りがきつくて縛りが解けないと実力が発揮出来ないと聞いたけど・・・だったら縛りを解いてやらねば!いずれにしても憲法に軍隊とは何か軍隊は何をする組織かを明記してない事は異常だ。

思うのは戦争のない国であり続ける為には、強力な抑止力を保有することなんじゃないか?ここまで平和志向なら実力を備えても他に領土を広げるなんて事を国民が許さんのでは?まぁ空気に流されやすいからなんとも言えんがそれはバカが多いんだろ。人類が存在する限り争いはなくならないし、戦争も根絶出来ないんだろうと思う。核も不拡散の努力は出来ても廃絶の可能性は核を持つ事が無意味になるような新たな兵器が開発されるまでは無理だろ。人類が核製造のノウハウを持った以上ね。核を無能力化するような新たなメカニズムが生まれるまで核は最強の抑止力として存在し続けるだろうというリアリズムを無視してはいかんよ。日本人も政治家も。

今日は終戦記念日

毎年この日にはどの放送局も終戦記念日にあわせた番組を放送してる。NHKでも憲法九条とか日本のこれからとか相変わらずの呑気な番組で左右激突やっている。討論番組はいいんだけど、終戦記念日なんだからあの戦争を総括するような番組を製作してはどうか。素人の感情論とか思想を垂れ流しても仕方ない。

いつも思う。なぜ、日本ではあの戦争に対して反省という一点の側面からしか見ず、考えないのか。広島、長崎の原爆投下の日はともかくとしても、終戦記念日にも戦時下で起こった悲劇などを体験者に語らせたり、特集して放送している。戦争の悲惨さを伝える事は重要なことだと思うが、日本が何故あの戦争を戦うことになったのか、何故戦争に突入するという事態に至ったのか。そんな事を検証したり、伝えたりする番組を製作しないのかと。

戦時下で起こった悲劇や辛い体験などは戦争の一側面に過ぎないのではないだろうか。もちろん、当事者としては言いようの無い苦しみや悲しみを味わい、その傷は現在も癒える事がないことだと思う。しかし、だからと言ってあのまま日本が戦争への決断をせずに時間を過ごしていたらどうなっていたのか。あの時の世界情勢はいったいどんなものだったのか、その中で日本はどんな状況に置かれていたのか。どのような理由から日本は戦争を決断したのか。そんな総合情報を提供して結論は視聴者に預ける。それが公正な報道ではないだろうか。

当方は9条の改正には賛成なんですが(明らかに現状に合致していないと思うから)、本音を言えば改憲ではなく新憲法を制定すべきだと考えているどちらかというと保守派なもので、毎年この時期のテレビ番組には疑問を持ってきました。まぁ軍隊は国民を守る組織ではないと思うものの、国家を防衛するという事は国民生活の根幹であると考えているので、絶対に必要だと思うんですよ。


民主党も生活が第一などとスローガンを掲げるのならば、国益を考えた安全保障政策を出してもらわねば信頼が置けないんです。国家安定あっての国民生活ですので。たとえば、仕事であれ遊びであれ海外へ出て行くにしても、その地で何かあれば頼るものは国家です。その国家が弱腰だったり、いざという時には安全に日本へ連れて帰ってくれる体制がなければ安心して海外へも出かけていけない。国家とは自分のバックボーンなのですから強くなくては困ります。他国の干渉に黙っているようでは困るわけです。


そういえば、NHKの討論を少しだけ見ていたわけですがその中で次のような主旨の発言がありました。「日本は60年の間誰も殺さない、誰も殺されないをやってきたのだから九条を守らなければならない」嘘を言うな。殺さないのに日本人は沢山殺されてきた。イラクでも外務省の職員やジャーナリスト、民間人がテロリストに殺害されたし、北朝鮮には民間人が大勢拉致され死亡したとされている。(政府は生きているという前提で交渉しているようだけど)非武装だったら攻撃されない、平和と唱えていれば平和になるなんてのは妄想だ。


イラクには派兵したからだと詭弁を言うかもしれないが、北朝鮮による拉致犯罪は明らかに日本が侮りを受けた結果だと思う。もし拉致被害者が生きているという確証が得られれば武力を行使してでも拉致被害者は救出すべきだと思う。それは自分に置き換えてみればそういう発想になるからだ。自分が他国の輩に拉致されたとしたなら、自分の祖国には武力を行使してでも救出してもらいたいと願うはずだからだ。それが平和だ非武装だなどと観念的なことを言ってまごまごしてられたらどうだろうか。それが今の日本だと当方は思う。それは絶対に異常な状態だと思うんだ。


もちろん、平和である事が理想的でそうあってもらいたいと願うわけだが状況が許さないのに平和がいいとは言っていられないと思うのだ。外交手段で決着がつかなければ最終手段として戦争があるのだと思う。話し合いで全てが解決すれば何も言うことが無い。それが一番いい。それでも事態が打開出来ない場合にどうするのかということだ。話し合って駄目でも話し合いというのは説明がつかない。他に方法があるというのなら具体案を出してもらいたい。戦争とは最終手段だ。やらないに越したことは無い。それでもやらねばならない時があると、それが前の戦争だったのではないかと思うんだ。


終戦の日を迎えてそんな事を思った。護憲、改憲、戦争反対、九条守れ色んな事を聞くけれど、なぜ62年まえ日本は戦争をすることになったのか、日本の当時置かれていた状況はどのようなものだったのか、世界情勢はどのようなものだったのか。戦争になる以前にはどのような外交交渉が行われ、どのような事件が起こったのか。そんな基本的な予備知識を知っている日本人がどれほどいるのだろうか。その上での議論ならば建設的なものになるだろうが、ただ戦争の結果やそれによって起こった悲劇などだけを取り上げて議論してみても噛みあったものにはなるはずがないと。


当方の知るところでは、マスコミは戦前には散々開戦を煽り世論を誘導したという。終戦の日、少なくともマスコミはその点を毎年反省し、己の過去を顧みて社説なり記事を書くことを希望したい。過去にあおっておいて、今はそれを日本人の恥部の如く書き立てる。当方のマスコミ不信はそんなところからきているのかもしれないとふと思った。