この頃の日本人の最近のブログ記事

綺麗事を言うとなんとなく気持ちいい

綺麗事を言うと自分は理性的で知的で常に冷静なものの見方をしているんだという錯覚に陥れる。どちらかというと、現実というよりは理想的な人に多いように思います。特に日本人は綺麗事が好きでもあると思います。日本人の美的感覚ど真ん中だという意見もあるし、伝統的道徳観と混同してしまってるだけだという意見があるみたいです。自分の周りですが。

日本人は「○○だ」みたいなのよく言いますけど、あるべき姿ってのはあるんでしょうが教育でこうあるべきだと教えられている道徳観って今はどうなんですかね。こうあるべきだとかいうものは教えてないんじゃないですかね。少なくとも「日本人とは」っていう教育を受けた記憶がない。そういう前提がないのに「日本人は~」というのはどうなのかと。

日本人は何でも理性的に解決する民族だというのと、物事の解決には強引な手法だったり暴力を使わないという事とは違うと思うし。日本が国際交渉で相手の良心を信じて交渉して失敗したケースはいくらでもあります。大東亜戦争なんかはそこがそもそもの原因ではなかったかと思うくらいで。今は日本人同士であろうが、相手の良心を信じた交渉なんて期待出来ない気もします。そんな国になった事に対しての憤りはありますが。

でも、相手を傷つけてはいけないとか思いやりという気持ちは個人のポリシーの問題であって、他人の行動に対して「こうしなきゃいけない」と冷や水をぶっ掛けるのは余計なお節介というか、価値観の押し付けのような気がしないでもない。あくまでも自分に直接の影響がある場合はこの限りではないですが。あとは政府とか官公庁とか企業なんかの公共に対してはモラルを求めるのは当たり前です。

まぁそこらの市民団体とかの活動に対してどうこう言うのは個人の意見としてはまだしも、それを当事者に行動の是正を求めるってのは個人でやる範囲を超えてるだろうと思うわけです。まぁ善意のお節介というか、自己満足というか。そういうものは余計な摩擦を生むだけのような気もするんですよ。綺麗事は言ってる本人だけが気持ちのいいもので周りには迷惑でしかない事ばかりでもあるし。

余談ですが、日本の朝鮮統治なんかも基本的に善意のお節介だったと思うわけで(日本の安全保障上の必要もあったでしょうが)、それが今の世の中では日本にとっては非常に迷惑な事になってるわけです。少なくとも日本政府が悪意を持って朝鮮を統治していたという根拠はないと思いますし、民間レベルでどうだったかまでは知りませんがそれは「日本が悪い」ことにはならんでしょう。あくまで個人レベルで蔑視してたような人は個人レベルで反省してればいいし、賠償したければすりゃいいわけで日本人の連帯責任にされちゃ迷惑です。

なんかネット見てても、実社会でも綺麗事言う人多いなぁと思う今日この頃です。

奨学金は借金ですから返しましょう

>奨学金滞納者ブラックリスト化 京都の大学生らが反対デモ(MBSニュース)

日本学生支援機構が奨学金滞納者をブラックリストに載せるとしているのに対し、京都の大学生らが反対デモを行い制度の見直しを訴えました。

「大学の学費高すぎる、もう払えないぞ」

京都・四条通りなどを仮装した大学生や大学院生らがデモ行進しました。奨学金滞納者をブラックリスト化することに反対するデモです。

奨学金制度を巡っては、滞納者の増加を受けて、おととし、日本学生支援機構がブラックリストを作り、取り立てを強化する対策を打ち出しました。

ブラックリストに載ると全国の金融機関でつくる信用情報機関に登録されるため、滞納者は不良債務者扱いとなりクレジットカードやローンの利用ができないおそれがあります。

学生らは「就職難の中、ブラックリスト化によってさらに生活が困難になる」と反発しています。

(引用ここまで)

 

まぁこんなのは一部のおかしなのが煽動して世間知らずを動員してるんでしょうが。そもそも奨学金というのは借金ではないのですか?借金をしてまで勉強したい人が利用するものでしょう。借りたものを返すという当たり前のことすらわからないんですかね。今の大学生と大学院生は。借りたものを返さなくたって身柄を取られるわけではないし、それなりのペナルティーを受けてもらいますというだけでしょう。どうということのない当たり前のことで。

「大学の学費高すぎる、もう払えないぞ」って払えなきゃ働け。別に高等教育受けなくても働けば生活は出来るし、経済的に学業を諦めている学生なんていくらでもいる。それでも勉強したいから借金して学校へ通ったんじゃないの?授業料は事前に通告された額しか徴収されないはずだが?納得して入学したんじゃないのかね。発想がまるでガキだ。義務教育であっても学校へ通っているだけで金はかかっているのだよ。義務教育を終えたら親に教育を受けさせる義務はなくなるので、そこから先は任意なのだよ。まぁ高校までは半ば義務化してるが。

奨学金などとは全く無縁というか、利用した事がないのでわからないから日本学生支援機構のWEBサイトを見てみた。奨学金にも種類があって第一種奨学金というのが特に優秀な人に無利息で貸付られるもので、第二種奨学金というのが一定の基準さえ満たせば有利子で貸付られる奨学金だそうだ。まぁ要するに学業をすることで社会に貢献出来ると認められた人は無利息で学費を調達出来る制度のようだ。

しかも、第一種の場合は在学中に優秀な学業を修めたものには返還を免除する制度がある。つまり勉強することで実績を残した人は返還しなくても良いということらしい。第二種に関しては免除要件は死亡するか障害者になるか精神病になるかしかない。まぁ要するに金は貸してやるけど、卒業して社会に出たら働いて返せよという知能指数を審査基準にするローンだ。自分の能力を担保にする借金だ。しかもほとんど信用貸付。

借りたものを返さなければブラックリストに載るのは仕方ないというか社会のルールだ。身柄を取られるわけでもなければ強制労働させられるわけでもない。ただ、信用情報に「この人は借りたお金を返してませんよ」という事実を記載されるだけだ。ニュースではクレジットカードやローンを利用できないおそれがあると書いているが、おそれではなく間違いなく利用できない。

確か完済したところで完済した事実は載るが事故情報は一定期間消えないんじゃなかったかな。そこら辺はちょっと覚えてないが、信用情報に事故情報なんか載ったら色々面倒な事もある。まぁ奨学金程度を踏み倒そうとする人なら一般のクレジットやローンは利用しない方が身のためってものだろう。いずれ金融事故を起こす可能性が高い。

しかも、この奨学金。親切なことに返済猶予制度まである。生活困窮していれば返済が猶予されるらしい。こんなの一般のクレジット会社とか銀行じゃ考えられないよ。返さなければ相談には応じてくれるだろうが、待ってくれて1ヶ月がいいところだろう。この奨学金の生活困窮の基準がまた甘くて年収で300万以下だそうだ。アルバイトとか派遣ならまず生活困窮認定だろ。借金してる分際でそれで返せないとはどういう了見か。

こんなので事故になる奴はよほど悪質な場合だけだろ。どう考えても借りたものを返したくないだけとしか思えないんだよ。返さなくても何のペナルティーも受けたくないという。どんだけ世間知らずのガキなんだよ。借金して学校行ったんだから働いて返せよ。支援機構も言ってるだろ、お前らが返した金が後輩の貸付金になるんだって。お前らで流れを堰き止めてどうすんだ。

返済免除も受けられない程度なら、さっさと野に出て働いて少しは社会の歯車として社会貢献しろと感情的になってしまいました。借りたものは返す。返さなきゃある程度の不利益は甘んじて受けましょうということです。別に殺されるわけじゃねぇ

平成22年成人の日

今年も成人の日がやってきました。元旦を除けば初めての祝日です。なんかいつからだったか連休にする為に(ハッピーマンデーだっけ?)1月の第2月曜に変わったんですよね。当方が成人を迎えた時には成人式の案内はきましたけど、なんか参加は抽選制だった気がする。会場に新成人全員は納まりきらないんですかね。当方は思春期を過ごした時期とは違うところに住んでいたので行っても知ってる人いないという理由で行かなかったと記憶しています。

だから成人式の思い出と言っても特にないというか。飲みに出掛けたわけでもなければ普通の休日として過ごしたような気がします。それから何年後かくらいに新成人が酒に飲まれて式をぶち壊したとか暴れたとかいうニュースが各地で出始め、今になってもそういうニュースは毎年の恒例のようになっています。今年も出てましたね。だいたいが酒に飲まれて起こす不祥事のような気もしますけど。酒は飲んでも飲まれるなって今はあんまり言わない気がしますけど、そういうことって教えないんですかね。親が。

まぁそもそも大人としての振る舞いを身につけなければ恥ずかしい年齢ですよというのが成人だろうと思うんですが、今は別にそういうわけでもなく酒やタバコをやって問題のない年齢になったというだけになった感じもします。成人年齢を引き下げるとかどうとかいう議論があるようですけど、成人としての定義をハッキリさせないとね。単にタバコや酒なんかの嗜好品を嗜んでいい年齢とか選挙権のある年齢というのが。全ての責任が自己責任になるという意識が薄い以上は別に成人年齢が18になろうが20であろうがどっちでもいいというか。どっちにしろガキなんだろっていうだけで。モラル意識が重要な問題なんだっていうところだと。

どっかのblogで「親は子供の機嫌を取ってはいけない」と書いてあったんですが、その通りだなと。まぁ当方にとっても耳の痛い話ではあるんですが、早い話が親の過保護が社会の幼稚化を招いているというか。人の親ではないので偉そうな事は言えないですが、親を殺しただの子供を殺しただのと言ってるかと思うと日本はまだまだ子供に甘い親が多いのかなと。可愛い子には旅をさせろとはよく言われますけど、言いえて妙ですよね。当方も親には高校を出たときに言われましたが、「どこか親の目の届かないところで社会に揉まれて生きなさい」と。自分以外に頼るものがないという状況で生きる事で人間は成長するんだと。まぁ30歳を目の前にして「あぁそうかもなぁ」と思っています。

社会的に見るとまだまだ若い30歳目前の当方ですけど、若いと言われるには若いわけでもないわけで。この頃よく思うのは「少年老い易く学なり難し」って言葉です。やっぱり勉強はやり始めて遅いってことはないんであって、若いうちにやるほど身になるというか飲み込めて血肉になるっていうことですよね。学齢を過ぎてからやっても覚えは悪いし、仕事の傍らにやるわけですから身につきにくいですし。まぁ歳食ってからやる勉強ってのはだいたい必要に迫られてとかいう事が多いわけですけど。何にしろ基礎が出来てないと苦労します。これは実感として思いますね。

親からは「若いうちに勉強しとかないと後で後悔する」と口酸っぱく言われてましたが、その時はうるせぇ馬鹿くらいに思っていたんですが、今になってあぁあの時やっとけばなぁなんて思うことも少なくはないですよね。そんな事を話してた時に「まぁ後悔先に立たずだけどね。学生の頃に戻りたいと思っても無理だし」とか言ったら「戻ったってやらなかったもんはやらないよ」と言われました。まぁそうかもしれないな。今学生ん時に戻ったら勉強するとか言っても多分戻ったらやらないだろうな。まぁそこが本質ですよ。そういう奴なんだっていう。

今年の成人式のニュースを見ていて、例年のように新成人が騒ぎを起こしたって言ってるけど大人がそんなことに眉間にシワを寄せられた立場かと思ったんですよね。確かにそりゃモラル意識の欠如は憂うべき問題ですけど、そもそもそういう子供を育てたのは大人なんですからね。やっぱり鏡を見てるんだと思って反省すべき点もあるだろうと。自分の子供が成人する世代の大人は反省すべきでしょうと。もちろん問題を起こした新成人は大人になったんだから、自分の事は自分で律して子供を卒業しなければならないという気持ちを新たにすべきだろうとは思いますけど。こういうことはどこでもニュースになるようになりましたしね。

これからの日本を背負う世代ですから、共に日本を繋いで行きたいですよ。まぁ大まかに見れば同世代みたいなもんですし。とにかく新成人の皆さんおめでとうございます。

若者は日本の未来に光を見出せない

新年に入ってから更新頻度が落ち込んでいます。単に邪魔臭いとか気がついたら日付が変わっていてスルーしてたりとか色々。もう怒りに耐性がついてしまったのかニュースを見てもblogのネタにしようとか思わなくなっているとかもあるか。まぁいけないことですが。異常なことですが。でも、密かにこのblog見てる人があんまりいないんですよね。そりゃ特に宣伝もしてないし、見られることは少ないのかもしれないけど。少し他のblogと仲良くなるとかしないとダメかな。

で、表題の話題へ。以下のような記事がyahoo!!newsに出ていたので取り上げてみる。

>日本の未来、8割「暗い」=自分については6割楽観-新成人調査(Yahoo!!News:headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100109-00000068-jij-soci)

これ、8割は未来に明るい材料を見出せないのに、自分の将来については楽観的だという記事です。これってどういうことなんですかね。全体として明るくないと思ってるのに、自分だけは暗い未来にならないということですか。社会が暗ければ自分も暗いだろう。全体として悪いと思い込んでいるけど、自分の状況はそれほど悪いと思っていないということの裏返しでしょうか。今の現状に正直日本の若者は不満を感じていないことの証のようでもあります。

別に日々食うに困るわけでもなければ、服を買ったりカバンを買ったり、ウォークマンを買ったりケータイを買ったりすることにそれほどの苦労を感じていないんでしょう。まぁそういうものは基本的には様々なコストカットという苦労の結果として、多くの一般人が買える値段になっていますからね。一般人が買ってくれないと商売にならないと言ったらいいんでしょうか。そういう物質的な不満がないと言い換えてもいいかもしれないですが。

日本の企業で正社員として働ければ、年収300万はあるだろうし自分一人が文化的生活を営むだけなら全く問題ない。しかし、家庭を持って子供を育てようと思ったら無理だってことなんですよね。多分。それじゃ国力は先細りするじゃないかって思うけど、自分さえ良ければそれでいいっていうことですか?自分が家庭も持たず子供もいない独身なので偉そうな事は言えませんけど。よく、周りからは「結婚しないんですか?」って聞かれる年齢になってきましたが、ぶっちゃけ結婚願望ほとんどない。ないって言えば嘘になるけど、結婚という価値観が自分の価値観とうまくマッチしないというか。

そりゃした方がいいんですけど。世の中の普通の人はするべきだし、子供もドシドシ作るべきだと思います。でも、当方ぶっちゃけ普通の人生歩んできてないと思うし、それに当方のような性格の者は結婚なんかしたら相手にも周りにも迷惑振りまきまくること間違いなしのような気がするんです。それでも結婚してもいいよって女性がいるなら結婚したいですけど。そんな人なかなか居ないしね。まぁ当方はもう5年ほど一人の女性と同棲状態ですけど、相手に結婚願望ないのが幸か不幸か結婚しておりません。まぁ内縁のような状態ではありますけど。

でも、思うんですよね。多分自分の価値観とか勝手な行動を理解してくれる人は居ないって。5年も一緒に住んでるんだから理解してくれてるような気もしますけど、まぁ一緒に住んでるのは互いに最小限の干渉しかせずに互いの生活に立ち入らない関係でいるからだというのが当方の見解ですし。互いが数日家を空けても何も聞かない興味を持たない。そんな男女関係正常ですか?倦怠期夫婦でもあり得なくないですか?だから当方普通じゃないと言うんです。その先に普通の幸せってありますかね。新成人じゃないですが、明るい未来は見えません(苦笑)

だからと言って別に仲が悪いわけでもなく、普通に二人で外出したり外食したりしますし。まぁ友達以上恋人みたいなものって関係ですかね。それが同棲というより共同生活をしてるだけなのです。当初のように亭主関白を気取ろうと思っていたものが、いつのまにか家事はほとんど当方の担当で、もう洗濯なんて30回以上当方がやってます。「女の下着を洗うなんて屈辱以外なにものでもない」とか一応男尊女卑っぽい事を言っておきますか。愚痴になってきたので話を戻しまして。国家のあり方ってのは国民が真剣に考えるべき問題です。国の未来を真剣に考え憂うってことを日本人はずっと怠っていたと思うんです。

典型的な普通の生活をしていない当方のような人間でも、日本という国の未来を憂いているんです。別に日本人の伝統的道徳観から少しくらい外れていても国家を想う気持ちは持っていて当たり前だと思っています。外国人に参政権を与える事は日本人の利益になるのか?夫婦が別々の苗字を名乗る夫婦別姓には何の意味があるのか?自由社会を脅かす人権擁護法案は国の未来にプラスになるか?と、国体を破壊する事は自分に必ず降りかかってくる事です。服を買えるかケータイを買えるかって生活に密着した問題以上に自分の未来に大きな影を落とします。

だから身の回りに危機を感じないから自分の未来は明るいと新成人は考えているんじゃないかと。それでも本能的に国の未来は暗いと感じているんじゃないかと。そんな小難しいことを考えていました。国の未来を考えることはイコール自分の未来を真剣に考えることだと思う次第です。国のことを考えない奴は自分の未来にも興味のない人であるということです。個々人よく考えましょう。

幼児化が進む社会

ホントに日本社会は幼児化が進んだと思う。便利になったと言えば聞こえはいいけど、つまるところ幼児化ではないのかと。今日、スーパー銭湯のサウナでテレビを見てたら「液体味噌」なる商品のCMがやってた。なんでも湯に入れるだけですぐ溶けるのが売りだそうだ。味噌汁作るときに味噌を湯に溶かすのが面倒だと思った事がなかったので少し着想にはビックリだったが、これが売れてるらしい。

なんでも手間いらずで出来る商品が増えた。便利になったのと同時に思考するとか手間をかけるということがドンドン必要な事でなくなる。企業はニーズに応えるだけだけど、それでいいのかとも。まぁ仕方ないっちゃ仕方ないんだろうけど。ただ、良いものが駆逐されているような気がしないでもない。効率化という名の下に本当に大事なものが失われているような。味噌の話は単なる一端ですが。

好きとか嫌いとか、当たり前の感情をストレートに表現することが必ずしも良いことかどうか。当方サラリーマンなので思うんですが、気の合う人とか自分の事を理解してくれていると感じる人とかしか付き合わなかったり、接しようとしなかったりする人が増えているような気がします。要するに居心地が良い方に流れて現実逃避にも似た行動を取る人が。プレッシャーとか威圧とかそういうものに極端に弱い人が。

とにかく、自分が苦しい事とか辛い事が目の前にあるとそこから遠ざかろうとする。まぁ人間ですから防衛本能が働いてそうなる事はありますが、何でもかんでもとなると違うだろうと。そういうものを跳ね返す力もないし、耐性もない。極端な場合は辞めたりするし、だいたい自分が圧力を感じる人と接しようとしない。話をしてもぶっきら棒で聞いてるのか聞いてないのかわからない。自分にとって耳の痛いことはとにかく聞き流したり、排除しようとする。そこを意地でも克服しようとするだけの力がない。

だから周りからは迫力に欠けたり頼りなく見えたりする。上司と話してる時にはどうしようもない奴なのに、気の合う人と喋る時には別人みたいに生き生きしてたりする。誰でもあることでしょうが、とにかく自分本位過ぎると感じます。自分は別にその人に評価されたり認められなくてもいいと会社とか社会の構造をまったく無視した行動を取る。とにかく自分の居心地が良ければそれでいいという考え方。例によって自分の部下なんですが。

とにかく、助けてもらいたい時だけしか話をしてこない。それでいて助けてもらっても「それが当たり前」という態度。少し叱責されると不貞腐れるか、現実逃避を始める。そんな奴のどこを評価しろと?どこを認めろと?(笑)そういう態度だから仕事が教えてもらえない。出来ない奴だという評価が定着する。それでも現実を認めたくなくて気の合う人に仕事のやり方を教えてもらおうとする。「何で俺に聞かない?」と言われても「お前には聞きたくない」と態度が雄弁に物語る。結果、勝手にしろと放置されて更に出来ない奴になっていく。

それは自分の言動が招いた結果だと考えず、教えなかったあの人が悪い。俺がこんな状態になってるのはすべてあの人のせいだと。思ってるかどうかは知らないけど態度がそう言ってる。「やる気ないんだったら辞めたら?」思わず言った一言にも「お前とやりたくないだけだ」と目が訴える。もうその幼稚さに付き合いきれないと思う今日この頃。当方もそんな時期はありましたから、ある程度の理解はあったと思うし歩み寄った指導をしたつもりだったんですが、それが彼を勘違いさせる結果になったのかもしれない。まぁ最初からそうだったと思えばそうだったかもしれないけど。

一つ仕事を手伝えば、もう手伝ってもらえるのが当たり前。自分が休んでる間に施策を進めておいて欲しいときたから、「自分の仕事は自分でやれ」と言ったら、無言で立ち去り何やら文句を言ってるらしい。さすがにカチンときて

「お前、いい加減にしろよ。辞めるか?別にいいぞ。明日から来なくて。辞めさせる権限はないから、お前が辞めないなら俺が辞めるわ。お前なんかと一緒に出来るか!」と言ったまでは良かったが、それだったら俺も同じか?とか思ったけどさすがに今日は溜まってた鬱憤が噴出してしまった。多分帰って親に散々愚痴ってるんだろう。

当方ならとっくに辞めてるだろう状態でも辞めないって神経太いのか無神経なのかよくわからない。最近のゆとり世代は手強いと聞いてきたけど、それを身をもって実感してる次第です。まぁこんな事なくても当方はそろそろ辞めるかもしれないけど。

天職とは何か

世の中不況不況とあまり言わなくなりましたが、それでも企業は儲ってないし経済も上向いてはいないようで。新型インフルエンザとか色々マイナス要因もあるにはありましたけど不況はまだまだ終りそうにないという感じがします。で、表題。この不況で職があるだけありがたいと思わないといけないのかもしれないんですが、「自分にとって天職とは何か」という事をずっと考えています。

ちなみに、当方は今までいくつかの職に就きましたが未だ天職だと思える仕事はないわけで。まぁそりゃ30手前の若造にそんな事を悟れるほど簡単なもんじゃないんでしょうが、若ければ若いほど何かに夢中になれるものではないかと思うわけです。しかし、当方は「何か」に夢中になったことが未だにないわけで。その夢中になれる「何か」を毎日探して考えているわけです。

年配者には「物事は10年やって初めて一人前になる」とか「好きな事で飯が食えるなんて一部の限られた人の話だ」とか「とにかく何も考えず働け」とか言われますが、まぁ言わんとすることはわかる。社会とはそうやって何も考えず働いてある程度経験を積んだ人たちによって形成されていることは。所謂サラリーマンといわれる人たちがそうなんでしょう。そして当方もそのサラリーマンなわけだからそうあるべきなのかもしれない。

でも、どっか満たされない。お前なんか満たされなくていいんだと言われるのはわかってますが、やっぱり満たされたい。それにはリスクを背負わないといけないのは薄々わかっちゃいる。いずれはそのリスクを背負って動こうと思っているけど、タイミングというのがある気がする。そのタイミングが目の前に来たときに掴める準備だけはしておきたい。もしかしたらタイミングは既に過ぎ去ったのかもしれないけど・・・

当方としては、3年後をタイミングと考えています。まぁ個人的な色んな理由とかあるんで3年後なんですけど。身の回りがキレイになる予定のその時には会社をドロップアウトするかもしれない。なんか異端者志向というか人から理解されない生き方を欲しているような気が自分で自覚し始めている。「あいつは何を考えてるかわからない。バカだ」と常識では測れないところへドロップアウトする事で何かが生まれるような。まぁそれなりに社会的地位もあるし、社内での序列もある程度認められていると言っていいと思う。だからこそドロップアウトしたくなる。やっぱり破綻者だ。鷲津巌に「狂人めが!」と言われるほど狂ってると自分でも思う。

そうやって一瞬一瞬を真剣に、時には物凄くいい加減に生きる事で明日死んでしまっても悔いの無い人生を生きたいと思うようになった。その為には家族を持ちたいと思う欲は捨てること。子供が欲しいと思う欲は捨てること。それは物凄く孤独な事かもしれないけど、自分の欲する生き方を貫きながら迷惑を最小限に抑える為には必要な事かもしれない。そう、3年後当方はもしかしたら結婚しているかもしれない。そうであれば、自分である事を捨てたということかな。精神的出家をしてしまった状態だろうな。多分、結婚という選択をした瞬間俺は実質的に死んだも同然になるだろう。

こんな事書いてると、同棲中の誰かに「ばっかじゃないの」とか言われそうだ。まぁ四六時中「バカだバカだ」と言われているのでもう慣れた。相手も結婚は望んでいないようなので幸いだと思っている。今はなんとなく一緒にいて、共同生活してるけどいつか終るものだしその時まではなんとなく続くんだろう。既に共同生活5年目だし、その辺は多分お互い割り切ってるはず。なんか30を迎える現実と向き合うと下らない事ばかりが頭に浮かぶ。いやぁ若いな。若い。俺もまだ青春してるわ(笑)

自分は仕事が出来ると思っている人

仕事のことを書くといつも愚痴になってしまうのが悪い癖というか、いつも反省しているんですがまだまだ未熟なのだと開き直るわけです。さて、表題。自分は仕事が出来ると思っている人はどこの会社に行っても一部署に必ずいると思います。周りからもそう評価されている場合と勝手にそう思い込んでいるタイプとがいる。どっちでもいいんですが、こういう人と仕事をするのはやりにくいもの。

何しろ、プライドが高く自信家。少しでも意見を言おうものなら聞かないか反発するか。そして特徴的なのは社内の序列が頭にないので下であろうが上であろうが最初から自分より下位に置いて見下す癖があるのもこのタイプに多いのではないかな?自分は要領がいいから出世出来ると思っているから表面上は上に対して良い顔ばかり。取り入って出世しようという意図がありありなわけです。

まぁ男なら出世欲があっていいと思いますけど、それが前面に出過ぎて調和を乱したり自我を通したりしがち。ポストというのは限りがあってそのイスにはある程度ですが座る順番が決まってるもんです。要するに順番抜かしがしたいから暴走がちになるのも仕事が出来ると思い込んでいる人の特徴でしょうか。仕事がうまくいかないと「上が悪い」「こいつが働かないから」そんな発想になるんでしょう。

周りが数字を上げると「こいつとやってると自分の評価まで下がる」なんて考え出すようです。だからそれだけは回避しようと「自分はやってますよ。やってないのはあいつです」と周りにアピールを始めます。まずは同僚に、次に直属上司を飛び越してその上へ直接訴える場合も。もちろん口で言うだけではなく、何らかの自分に有利な情報なり材料を提示して説得しようとするわけです。「数字が出ないのはあいつのせい」だと。

ただ、社内で上司批判はよほどのことでない限りしてはならない。これは日本の会社組織の不文律です。これをするなら不退転の決意を持って(要するにうまくいかない場合は退職するくらいの覚悟で)実行するべきではないでしょうか。こういう問題を提起されると聞いた方はほとんど聞き流す事はありません。それは周到に材料を用意すればするほど。そうなれば批判の対象に事情聴取を始めます。「こんな話が出てるけど、どうなんだ」と。

ここで重要な事は、聞いた方は間違いなく批判側の意見を一方的に聞き入れるわけではないということです。必ず双方から話を聞いて問題点を洗い出そうとするはず。そこで困るのはむしろ誰かを批判する方です。多分批判された方は事実であれ気分を害するはず。相手が感情的になって反論してくれば最悪の事態になりますし、相手が冷静に自分の非がある部分を認めつつ自分の言い分を展開してくれば、今度は反撃される側になりかねない。

それに経験上言えば会社組織なんてのは、常に序列が上の言う事に耳を傾けるのが普通。批判をした側の意見が通る事なんて稀で、上司批判は自分の居場所を狭めるだけという結果になるのがオチ。何故なら、それが問題になったとき批判された上司は「悪かった。以後気をつける」と口では言っても、上司批判をする人間の評価は最悪でこれは余程のことが無い限り回復しないと思った方がいいです。出世する為にした上司批判が逆に出世の妨げになる最悪のケース。

このことが分かってない人って結構いると思う。敢えて言うなら批判された上司が感情的になって明白な業務妨害や嫌がらせをしてくるケースがあれば状況は好転するでしょうが、日本の会社組織ではだいたいの人が穏やかに実にアッサリ自分の非を認め「改善します」と謝ってくれたりするものです。ただ、それはその件に幕を引くだけの事で本質的には何も変わりません。むしろ、評価が下がる分仕事は今まで以上にやりにくくなるはずです。上司批判は言ったときは溜まったものが吐き出される快感に浸れるでしょうが、その後の後遺症は悔やんでも悔やみきれないほど大きい物です。

自分が能力的に勝っていると思っていても、会社が上司と認めた人はあくまで上司。実力主義だと言っても序列まで無視して良いものでない。そこを勘違いしている人がたまにいるんだな。出来る上司でも出来ない上司でも上司は上司。その人に評価してもらうのが出世の近道だという簡単な事が理解出来ない。直属の上司を飛び越えてその上に訴えたところで、その人そのものの評価なんてさほど変わりません。むしろ、訴えた側に対して「非常識な奴だ」という負のイメージしか与えないでしょうし、「こいつを昇格させたら厄介な事になりそうだ」と思われるのがオチでしょう。

会社組織で生きるとは自分の役割を理解することです。評価は周りがするもので、本人がするものではありません。自分の能力だけで何かができる自信があるなら起業をするしかないのでは?なんか「自分のフォローを何もしてくれません。数字が上がらないのはあの人がやらないからです」と言われても「あ、そう」としか思わないんだけど、とりあえず事情くらいは聞かないといけない(要するに事を荒立てなければならない)憂鬱にうんざりする今日この頃。そして当方もそんな批判にさらされてうんざりしているところです。

 

ちなみに「批判された上司」ってのは当方のこと(笑)当方の上司と面談をしていて「まぁお互い様だろうから。でも話に来た以上お前にも聞かないと仕方ないから。コミュニケーション不足なんじゃない?」とか言われてまた面倒が一つ増えたと考えたら白髪が一本増えた気がする。

雰囲気を変える人と影響を与える人

どうも最近は堅いエントリーばっかになってしまうな。とは言ってもこのblogは当方の頭の中というかそういうものが具現化されているようなものなので、小難しいことばかり考えてるとそんなエントリーばかりになってしまう。それは仕方ないことで読んでもらいたくて迎合するような形で時事ネタを取り上げても疲れるだけで、検索かけてたまたまかかったから何の気なしに読んでみたなんて人がいたらそれでいい。blogを公開するという事は読まれることを前提にするのだから読まれること自体は嬉しいわけで。

で、部署内で全体ミーティングというか会議があった。まぁ毎度の事ですが、重苦しい雰囲気になったりしてみんな大変疲れた。不況下でもあるし、経費削減だの売上アップだの本社やら事業部から降りてくる施策がどうだのまぁ色々。みんな色々ノートやらメモ帳やらに色々書いてるが何を書いているのかいつも気になる。まぁ当方と大差ないだろうけど、それを後で見返したりしてるのだろうかと。ちなみに当方は見返したことは一度もない。まぁミーティング前に暇だから以前のものを読み返す程度。書く事といえば自分が喋る側になる時に使いまわせそうなことばかり。

業務上の指示事項なんかは一応書くけど、毎朝朝礼で耳にタコだし見返したりする必要もない。そんなわけだから全体ミーティングなんて必要ないじゃんと皆が心の中で思っているけど毎月やる全体ミーティング。まぁ内容さえ見直せば必要なんですけど。そこで現場幹部から出る言葉は毎月同じで耳にタコでしょうと。一般社員は当然のことですが、当方のような末端監督職にとっても退屈で仕方ない時間でもあって。言ってる事が頭の先からつま先まで自己利益追求の匂いがプンプンですよ。

まぁそれが企業であって、当たり前の風景だと思いますが。「物売りなんだから売って当たり前だ」といわれても、うちの会社の利益がどうやって出てるか知ってる者にとっては「いや、お前数字が上がらないとてめぇの査定がヤヴァイことになるだけだろ」と思うから、尤もらしい事を言ってると思ってるのは本人だけという大変痛々しい状態に。ましてやてめぇの査定の為に動き回るのが自分の役割かと思うと下を向いて暗い気持ちに。

まぁそれは組織の一員として仕方ないことだと割り切ってるのでいいんですが。今の会社だけでなく数十人の上司と仕事をしてきて感じることがあります。それはみんな例外なく共通するのは自分色に染めてやろうとする意識をみんな持っているということです。もちろん、自分が管理する集団を自分色に染めようとするのは当たり前のことなのかもしれないですが、そこで思ったことが一つ。それは雰囲気を変える人と影響を与える人の二種類いるなと。だいたいが前者で後者はなかなかいないですが。

どういうことかと言うと、解り易い例えかどうかは定かでないですが学校のクラスのような3~40人単位の集団の中では必ず誰かが主導権を握るものです。まぁクラスのリーダー的なやつですね。それはクラスが出来てしばらくすると固定化されていくものですが、大勢が決まるとみんなそれぞれのスタンスを取るようになりますよね。存在感を薄れさせたり、積極的に関わって自分の居場所を居心地のいいものにしようとしたり、または対極に立って別なグループを作ったりと。しかし、それは一時の雰囲気で主導権者が消滅したり変わったりするとリセットされるわけです。

本人が雰囲気の中心にいるときは、まるで集団そのものが一纏まりになっているように見えますがそれは雰囲気を支配してるに過ぎないと。会社内の部署も同じで一度その本人が消えると無かったことのように雰囲気というのは変わるわけでして。箍が外れるという言い方がありますけど、まぁそのようなものです。次の主導権者に合った雰囲気というのがまた醸成されていくというその繰り返し。それはあくまで雰囲気を変えるだけで、有形無形の影響力によって自動的にというか。本人の能力というより肩書きだったりそういうバックボーンによって出来るものだったりします。

ただ、影響を与える人というのはその本人がどこか別のところへ行ったとしても継続的に他人の行動とか思考に関与する能力がある人の事です。こういう人に出会えたら幸せだろうと思います。仕事の能力云々というより、これはもう人間力というか人生経験とか生まれ持ったとかそういうところからにじみ出る能力なので男には股間にチンコがあって女には穴があるというくらいに誰でもが持っているものではないわけで。こういう人に出会える事を人生の目標にするし、また自分もそうありたいと向上心を持つわけですが。

ちょっと前に「俺がいなくなってミスが多いらしいな。やっぱ俺がいなきゃここはダメだな」みたいなことを聞きましたが、こういう人は自分が如何に優秀であるかを誇示したかったか自己陶酔に浸ってたかのどちらかでしょうが、自分なら「あ~やっぱ俺は雰囲気を支配しただけで、影響は残せなかった」と打ちひしがれると思います。恐怖心とか功名心を上手く使って雰囲気を支配してただけだったかと。俺がいなくなれば俺の考えなんてぶっ飛んでしまうのかと。まぁ企業というのはそういうものなんですが。

いるんだな。言いたいことはよくわかる。そうだ、君はそんな事無理だってわかってる。でも言わなきゃいけないから言ってるんだろ?その辛い気持ちはよくわかる。でもその言い方じゃ伝わらないよ。その方法じゃ動かないよと思う人が。よくわかる。自分がそうやって教育されてきたから同じ方法で指導して何が悪いそれしか出来ないと。でもやっぱ時代を読まないと。もうそういうやり方で誰もついてこない事は痛いほど経験してきたはずじゃないか。それでもまだそこから学ばないか?

下に意識を変えろというのは容易い。でも、自分は変わろうとしてるか?変わる必要がないか自分は絶対正義だと思い込んでるのか。トップダウンで物事を進めすぎると必ず瓦解するんじゃないのか?そうだ。組織で生きるにはトップダウンに従うのがいいんだ。でもそれじゃ人はついてこないんだ。笛を吹いても踊ってくれなきゃ結果は出ない。そこをよく考えろ(笑)時には自分が苦しんで下を変える為に上を変える努力をしたらどうだ?意識を変えて(笑)

先に書いたが、肩書きを免罪符に笛を吹けば踊ってるふりはしてくれる。本当に踊ってくれてるかどうかだ。まぁそんな事は結果さえ同じならどうでもいい事なんだけど、決定的に違うのは根っこを押さえてるか押さえてないかでここ一番で差が出ると今は思っている。当方は常に場の雰囲気を変える人でなく人に影響を与えられる人になりたいと思って生きていたい。我ながらナルシストな文章になって正直スマン。

会社員としての資質

ここんとこ、色々と仕事のことで悩みがあるというか。まぁ煮詰まってる状態です。うまくいってないから悩むんですが。歯車が狂うというか、何かのキッカケで少しでも変わるならそれはそれでいいんですが。一応、監督職なので管理職と一般職との調整役のつもりでいるんですが一番辛い役回りだと痛感しております。

なんか、もう本屋で「いい上司になる為に」とか「部下を振り向かせるには」とかいう本があったら買ってしまいそうなくらい行き詰ってます。まぁ個人的に思うには自分の役割がなんなのかということを理解してそれを実行するというのが会社員に求められる能力なのではないかと最近思っています。空気を読む的なことだろうと思いますが、今の自分の立ち位置を把握するというか。

主体的に考えて動くべき立場なのか、言われた事を無難にこなす事を求められているのかというような事で。ここをこうすればもっと良いのにという意見を言うことは何ら問題ないのですが、必ずしもそうなるとは限らないしならないことの方が九分九厘であるという事を理解した上で仕事に向かうべきだということです。日本の会社組織の一員である以上、協調性が何よりも求められる事をまず理解すべきなのです。

当方もこのことを理解するのに約5年かかりましたが。この間、ある社員と話をしてる時に「うちの会社では言われた事を素直に実行する事が何よりも評価される。だからどういう考え方をするかは自由だけど、如何に納得できない事を実行できるかが求められるスキルだ」と言った事がありました。また、「言われた事を言われたようにするだけでいい。結果責任はお前にはないんだから楽なもんだ。そう考えろ」とも。

結果責任は指示する事業部なり現場の管理職なりで責任を持つはず。そこで責任転嫁される場合があるので厄介ですが、そこを調整するのが自分の役割かなとも。だから立ち位置は一般職に近いはずなんですが、彼らからするとそうではないようで。まぁそこんとこはあまり重要ではないと思います。言われた事を言われたように無難に処理できるか。それが一般職に求められるスキルであると思います。

実際、そういう人から順番に出世していくわけですし。最近の若い世代(自分も含めてですが)を客観的に見るようになって感じるのは、自分が評価される側である事を理解していない人が少なくないように思います。もう自分が社長か役員にでもなった気になっているのではないかと勘違いしそうになることが。個人を大事にする個性を大事にするゆとり教育というものが如何に社会に対して無意味で有害なものであるかが解ります。

主体性を持つ事は悪い事ではありませんが、それを態度に出してしまう人は日本型の会社組織には完全に向いていません。日本は個人主義の国ではありませんし、そういう価値観とは相容れないと最近つくづく思います。調整力と協調性こそ日本の会社員として備えるべき能力ですが、それがことごとく欠けている人が多い事が社会とのミスマッチを生み出しているのでは?と思っています。自分より組織、自分より公という価値観こそ日本だと思います。現実に日本の会社では多くがそうであると思います。

自分で事業を興したり、芸能やスポーツという個人の能力のみで生きられるという特異な人は置くとしても、多くの人は会社なりなんらかの組織に入ってその中で能力を補い合って生活するわけですから、現実的な社会に溶け込みやすい人材の育成を教育現場でするべきでは?国際的にとか云々言う前にほとんどの日本人は日本国内で働き生計を立てるわけですから。一部の特異な人に合わせるより多くの凡人に合わせた教育をすべきですよ。多くの人が一山いくらというレベルなのだから、自分だけは特別だと勘違いさせるのは大いに国益を害すると思います。

現実に企業の現場では、そういう下らない事で能率が下がってるわけですから。まぁそんな当方も新卒の頃は勘違い全開で上から頭を押さえ込まれてそれがストレスになってましたから偉そうな事は言えたもんじゃないですが、現実を直視すればやっぱり日本には日本人を育てる教育こそ必要であるとそう思います。当方のように「いろはのい」を社会に出てから身につけることこそ非効率で何より本人にとって不幸であると思います。

会社の事から教育にまで話が拡大しましたが、やっぱり日本の企業が復活する為には人間教育が不可欠であると最近ホントに思います。

嘘をつくことは悪い事

子供の頃は嘘をつくと親から怒られその事を大変咎められた記憶がある。その事から嘘はダメなことだと思い続けてきた。しかし、歳を重ねるにつれて嘘を効率よく重ねる奴が要領よく生きている様を見ていると、使い様か?と思っていることも事実で。

嘘が大事になって回りに迷惑をかける事もあるでしょうし、他人に不快感を与える場合もあるでしょう。しかし、嘘が事を穏便に収めたり、かえって円滑に進む事もあるのは事実としてあるんだなと。知らなければ何も無かったのに知ってしまった故にお互いに嫌な気分になることも。

例えば、会社で部下が朝寝坊した時。正直に寝坊でしたと言われたら「まぁ疲れてるんだろ。気をつけろよ」と一度目はいえなくもないですが、二度三度となるとこれは指導しなければならなくなる。正直、朝が弱けりゃいくら6時間睡眠を取ってみても朝寝坊する奴はする。本人の心がけ次第といわれればそれまでですがね。

こっちからすれば、体調不良で午後から行きますと言われたら「体調を万全にして出てきてくれ。今日はゆっくり休んで」と取る機会のない有給休暇を取得させる事もできるのに。もうこっちからすれば体調不良であろうがなかろうが、体調不良と言われればその日人員が一人少なくなる事に変わりはないのだから・・・体が弱っていようがズルであろうがどっちでもいい。

それなら、寝坊して申し訳なさそうに午後から出社されたりして周りも「なんであいつは甘やかされるんだ」との目もあって厳しく怒らなければならない。そんな無駄な摩擦を起こしたくないので、朝寝坊したら体が弱い事にして休めばいいじゃないかと、立場上あるまじき事を考えてしまう。まぁ人それぞれ考え方があるでしょうが、遅刻に関しては当方は寛大だと思います。自分も朝弱いから・・・

当方も、入社したての頃はよく遅刻して怒られてましたから。まぁ気の緩みと言われればそうだったような気がしないでもないですが、ケータイに電源が入っているものと思い込んでアラームが鳴らず起きられなかったとか。朝弱い人間は酒が弱い人が酒がダメなのと同じように朝がダメなんです。そんな当方は仕事さえキチッとやってれば朝寝坊くらい・・・と考えるのです。

それでも一応会社ですし、決まった時間に毎日遅れず出てくる者らの手前遅刻には厳しい姿勢で挑まないといけないわけですが。朝だらしないけど仕事の感性は優れている社員と、朝は遅れず出てくるけど仕事はイマイチな社員なら間違いなく前者の方が会社にとってプラスになってると考えるんで。だから下らない事で人事考課を落としてもらいたくないというのが本音で。

起きられないのは仕方ない。だから寝坊したら仮病でその日は休んでくれ。と思うわけです。本人が体調が悪いと言えば、こちらは心配したふりをして今日は休みなさい。と優しい言葉で穏便に済むわけです。まぁ有給休暇の取得限界を超えてまで寝坊するようなのは論外ですが。年間で10日前後の取得なら別にいいじゃないかと。それでも月1回ほどやってる計算になりますが(笑)

あ~何も正直に寝坊しましたって毎回言ってくれなくても・・・個人面談か。やる方もダルイし、当方自体が朝寝坊なんて別にいいじゃん。朝弱いんだから・・・って思ってるだけに余計やり辛い。所属長が遅刻には厳しい姿勢なので厳しい指導しなけりゃ立場上仕方ないんだけど。それにしても最近の若手はこういう仕事に関係ないような事ですぐ辞めるからなぁ・・・

現場にいるものからすれば、感性が優れてて戦力になってる奴が下らない事でポロポロ抜けていくのは正直キツイ。朝は遅れないけど仕事はショボイのより余程頼りになるんだけどねぇ・・・実力主義を掲げる我が社は実績はあるのに遅刻癖がある奴は最低ランクの査定になるからなぁ。朝は遅れないけど仕事はショボイのがそいつよりボーナスもらうって・・・立場上好ましくないが腑に落ちない気持ちです。

まぁ自分が朝弱いから余計に朝弱い奴に同情的な立ち位置になるんですが。まぁ人それぞれですね。やっぱ社会に出ればみんなと同じ事を同じように出来ない奴はダメだ。って言う人の方が多いですし。でも仕事は人それぞれ能力ってものがあるのと同じように朝弱いのは一朝一夕で治らないと思うんだけどね。そんなの怒ったからと言って治るもんじゃないでしょう。怒って治るならそれに越した事ないですが。だから寝坊したら仮病で休もう!密かな心の叫びです。

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