この頃の日本人の最近のブログ記事

24時間テレビってまだやってんだ

ちょい前にテレビをつけたら日本の夏の風物詩となっている日本テレビの24時間テレビのエンディングが放送されていた。あ~今年もまたやってんだ。とか思ってたらサライが流れるところをオカマが泣きながら母親と思われる女性と涙ながらに崩れていた。なんか言ってたけど特に興味もないのでそのまま消した。

ていうか、あれを毎年楽しみにしてる人とかいるのかな。あれって集めた募金をどっかに寄付してんだよね。それで助かってる人もいるんだろうしやる意味はあるのかなとは思うけどさ。それで出演者だのテレビ局が報酬を得たり利益をあげたりしてるのってチャリティーの理念に当たらないような気がずっとしてんだよな。まぁそのような批判は色んなところであるようなのでいいんだけど。

あれって誇大広告とか嘘偽り大袈裟とかに当たらないのかね。チャリティーマラソンとかチャリティーなんとかって・・・出演者にはギャラが出るらしいじゃないですか。日本の道路を歩くだけで何がどうチャリティーなのかと。まぁ走ってないとか車移動があったとか歩いても楽勝でゴール出来る距離だとかは別にいいんだよ。そんなの営利企業が演出でやることだから。歩いててもいいし、楽勝でゴール出来る距離設定しかしなくても問題ない。ただそれの何がどうチャリティーに結びつくのかと思うんだよな。

走る役の人には多額のギャラが支払われて、前後には各番組出演と色々な恩恵があるわけだろ。まぁ別に利益を全く得るなとは思わないけど、少なくとも出演料くらい辞退しろよな。くれるから貰ったとか言い訳にもなってないというか。目くそ鼻くそというか。身体障害だったり知的障害だったりの人が頑張ってるとこ取材して・・・まぁいいよ。その辺は自由だから。で、それを視聴者に見せて可哀想だからお金出せってか。程度や内容は違っても普通の視聴者もそれなりに大変で可哀想だよと思うけどね。

どうせやるなら金のある著名人が普段からこんなチャリティー活動をしてますとか、著名人がこんな財団をやってこういう人たちを支援していますとかさ。芸能人が道端歩いてるとことか武道館で歌ってるとこを放送して・・・まぁいいんだけど。この著名人は普段から福祉施設を訪問したりしてこういう支援してますとか紹介するなら、まぁチャリティー精神ってのは大事なんだなとかそういう啓蒙になるかもしらんが。そもそもチャリティーなんてのはそれなりに恵まれて豊かな生活してる人がすべきもんだろ。今の日本でそこまで心に余裕のある人がいるだろうかって。そういう人たちが少なくなったのは政治の責任だろ?じゃぁ政治に問題ありだろとかそういうとこに話が行き着くわけなんだけど(笑)

奉仕精神なんてのはそもそも普通の奴が持ち合わせてるもんじゃなかろうに。ああいうの見るとなんだか偽善的だなと思ってしまう自分がいたりして。まぁ陰で笑ってようがチャリティーだチャリティーだと言って、結果恩恵を受けてる人はいるわけで。それはそれかもしらんけど。ちなみにマラソンが完全にゴール出来る楽勝設定になってるのは、出演者の負担というよりは初期に寛平がゴール出来なかったトラウマからだと思われる。構成上やっぱり最後は感動のゴールで終わりたいという局側の思惑だろ。まぁそれはそれで意図は理解出来る。じゃマラソンなんかに拘らなくてもいいしやらなくてもいいんでは?と思うな。

まぁ世の中人知れず社会貢献活動をしている著名人もいるし、団体もあるしチャリティー精神に溢れている人はそれなりにいる。ああやってテレビでチャリティーだチャリティーだと吹聴してる奴ほどチャリティー精神がないように見えてしまうのは仕方ない事で、やるならそれを理解して飲み込んだ上でやってりゃいい。社会貢献活動なんてのは「やってますよ~」って見てもらうものではなく、誰からも知られなくてもいいから自分の思いとしてやっているというものだと思うんだけどもな。24時間テレビが偽善だと批判されるのはそういうとこじゃないのかなと思っているのですが。

高齢者所在不明とか相撲協会不祥事とか

どうも最近はテレビを見る時間が長い気がする。飯食う時とか朝起きて外出準備してる時間とかに見てるというよりつけてる。だいたいワイドショーとかそういうのがやってる時間帯が多くなりますが。で、最近はだいたいワイドショーとかは大相撲の理事長がどうだの、高齢者が所在不明になってるとかばっかり。正直、どうでもいいニュースばかりだ。ワイドショーってのはそういうものだろうけど。

高齢者の行方不明って確か、最初のケースが100歳超えてるはずの人が自宅でミイラになってたとかでインパクトあったからだと思いますけど、今は全くその続報ではなく全国で高齢者の所在がわからない人が多いとかにシフトしてますな。毎日毎日高齢者がどこにいるかわからないとか何が伝えたいのかと。コメンテーターとか「コミュニティーの繋がりが希薄になっている」とか何を今更なこと言ってるし。

そもそも、子供が2人か3人の家庭が多いわけだからこうなるのは目に見えてるというか。昔は長男なりなんなり不動産なり自宅なり両親の遺産と引き換えに同じ場所で家を引き継いだから起きなかっただけだろ。核家族化が進めばこうなるのは自明だし、コミュニティーの繋がり云々以前に子供の自主性だの自己実現だの皆が皆出来ない事を皆出来るみたいな嘘を流布した教育とメディアの責任だろうが。コミュニティーと言ったって人が流動的に動いて少子化進んでりゃ希薄にもなるだろ。老人なんて昔からコミュニティーとはほとんど関係ないんじゃないのかよ。

家族が年寄りの体調なり動向を知らないんだから防ぎようがないっての。個人主義がこれだけ行き届いた世の中で行政が出来ることなんてたかが知れてるしどうにもできないんじゃ?能動的に動く人はいいけど受身の人までどうにかするなんて無理だろと思うんだが。ワイドショーで舛添がやれるとしたら国民に年に一度の健康診断を義務化して来ない人には調査するくらい。とか言ってたけど、まぁそんなもんだろ。なかなかいいアイデアだと思ったけどね。関わられたくなくてひっそりやってる人もいるわけだからそこまで行政が関わっていくってのはな。

こういうのも人知れず起こってるものも含めていっぱいあるわけだし、ワイドショーも視聴者の飽きがきたら取り上げなくなるわけだし、気にすることもないのだろうが。自由主義の世の中なんだからこういう事はさもありなんだと思うわけで。まぁそれが自由ってものだろうし、自由の限界というか。統制されてりゃ居なくなりゃすぐわかるわけで。それが皆嫌だから自由にやってるわけで。年寄りが哀れだったり寂しい最後を迎えるのは家族の形を変えた結果だろ。ただそれだけだろ。そう思った。

相撲の理事長が復帰したの辞めないだのってのも正直どうでもいい。やりたきゃやればいいし、相撲協会も客が入ってるわけだから国から金なんてもらわなきゃいいのに。力士を囲って給料渡すなんてやめて他のプロスポーツみたいにやればいいのにと思う。だいたい勝手にやってる興行団体なんだから野球賭博やろうがヤクザと付き合ってようが勝手な話なわけだから。国から金もらうからゴチャゴチャ言われるわけでね。独立採算で勝手やってりゃ勝手な話なわけだから。どっちにしろ法令守らない奴とか反社会組織と密接に繋がってる奴なんて力士じゃなくてもロクな奴じゃないんだから。

だいたい力士と生計を共にしてるわけでも、家族になるわけでもないのに何をゴチャゴチャと。相撲が落ちてきて毎日ワイドショーとかでコメントしてる相撲ジャーナリストとかいう肩書きのわけのわからない奴らもちょっと考えろと思うな。正直、あの人らは相撲の中の人で相撲が繁栄しててこそ飯が食えるような連中でしょう。それを落ちていくものを棒で叩くみたいな、どっかの半島みたいな諺を地で行くような事してんだから「あ~あ」って感じだが。言っとくがプロレスはそれでズルズル落ちたからな。

プロレスだってプロレスマスコミが問答無用で無視するか、全面擁護するかしてりゃ・・・まぁだいたいのマスコミは解ってるから解ったような紙面作りしてたが、一部の業界で喰えなくなったアホが日銭欲しさに貶めた結果だと思うけどね。まぁ相撲も同じようなことになってんだなと見てて思うよ。相撲の方が温かくて大人なファンが多そうだしまだマシだろが。今相撲協会ボロクソに言ってる奴は後で相撲界から干されるんじゃないの?大丈夫か?まぁ既に喰えなくなってる奴なのかもしれんけど。

まぁどうせ相撲はいろんな意味でアレ以上どうしようもないというか、落ちていくだけというかファンも減るわ力士のなり手もいないわで八方塞がり状態だったのに泣きっ面に蜂でお気の毒だなぁと思う次第で。ワイドショーってこんな可哀想とか残念だったことばっかで、取り立ててどうでもいいような内容のないことばかり放送してるんだなぁと改めて再確認。まぁ見る側が幸薄な事見て「かわいそうだねぇ」とか言って偽善心を満たしたり、なんとなく優越感に浸ったり出来るから需要あるのかねぇと思ったり。このご時世で平日の昼間から自宅でテレビ見られる人なんてそんな人だわな。

普通はお母さんもパートに出たりなんだかんだ家にいない家庭も多いだろうし。関西地方のワイドショーってこんなことばっかじゃなかった気がしたので全国ネットのワイドショーってアレだよなぁと思う今日この頃。
さて、履歴書に文句をつけられる講座は無事終了。というか何の文句もなかった。「丁寧綺麗に書かれているし、特に問題は見つかりません」だってさ。肩透かしだわ。ここの文字間隔がどうこうとかウダウダ言われるものだとばかり思ってたが。こっちの聞きたい事とか業界動向について話を聞いて40分終了。

そこで一つ思ったことがある。今までやってるのを見ててみんなメモを取ったりしてるわけですよ。まぁ営業マン時代にも「出来る奴はノートを片手に商談する」って言われてましたから気にはなってたんだけどね。でまぁノートは持っていかないけど手帳に色々書こうと思ってたんですが、こういうのってどういう事をメモすればいいんでしょうかね。メモしだしたらメモしまくるような気がして。

それこそメモ魔になりそうな気さえ。だいたい覚えてるしなぁ・・・まぁ覚えといた方がいいですよ。とか言われたサイトの固有名詞くらいはメモしますけど、話の内容をっていうのがなぁ・・・当方、今まで覚えることは重要なこと。覚えてないことは大したことないと思って営業してたんですが。まぁそれで客先からの注文をスッカリ忘れてた事も何回かありますが(笑)まぁ急ぎのものではないし、客先もまたでいいよ。とかいうレベルのものなんですがね。まぁ覚えなくていいレベルの。そうでもないけど。

で、学校へ通うのにバスを利用するわけですが、この間ウォークマンを聞きながらボーっとするんです。そんな時にはだいたい思考をめぐらせる癖がありまして。今日は行きが比較的空いてたので何となく考えたわけです。「あ~大人って人の話を聞かないよなぁ」と。人というか目下の人とか年下の者の意見というか話を。仕事だったらある程度物分りのいい人でも普段の会話を聞いてないと思うんですよ。

例えばですよ。これこれこうだ。みたいな真面目な話をしてても、右から左。「また、どっか下らない情報を聞いて真に受けてる」みたいなね。自分にとって常識的ではない情報に対しての感受性が低いというか。多かれ少なかれ、何歳になろうが人間ってのは無知なんだと思うわけです。それを相手を侮っているばかりに無知なままだという。それでいいというような感覚ですかね。特にテレビで言ってたとかテレビに出てた人が言ってたレベルの話になると権威がつくので信じるみたいな。うまく言えてないけど、皆が信じてる話は信じていいみたいな自分で考えてないというのかな。

やっぱり知的な大人ってのは、相手が誰であろうが真摯に話を聞いて自分の頭で判断する人だなと思ったわけで。これ、他人だとある程度の遠慮がありますからそれなりに聞いてるフリはしてると思いますが、身内となると露骨に態度に出るというか。身内の話にも耳を傾けられる余裕のある人でなければならないというか。自分の子供とか身内の年下の者に論破されると内心穏やかじゃないくらいはわかるけど、「こうだったらこうなの!」みたいな電波出す大人いませんか?当方の周りだけですかね。

そんな時にはいつも言うんですが、「どうせ、多分そっちのが先死ぬから無知なまま死ぬのは勝手だけど、後に残る者に迷惑かけるようなことすんなよ?」もうこっちも半分呆れてしまうわけですがね。その時代に生きてたからってあんまりアテにならんですよ。その人らの体験ってのは。具体性のある話が出来ない人ってのは特にですが。「戦争とはそういうものだ」的な思い込みに立脚して話をしてる事が多いような気がしますよ。個人的体験に基づく話もアテにゃならんというか。

朝鮮とか中国に対して侵略したなんてのは概ね嘘捏造に基づく。って言うと「そんなことない。あり得ない」と返ってくるわけですから。その理屈は「周りの人もうちのじいちゃんも朝鮮人を蔑視してた」とかね。それは個人とか大衆レベルの話であって、国家としてそんなことしてないわけだから日本国に何の責任もない。だいたい大衆なんてのは煽動されやすいもんなんだから大衆の空気なんてのは関係ない。と思うわけですが。そういう感情を持っていた事に贖罪意識があるのは勝手なんですがね。後の世代に禍根が残るわけですよ。

何の負い目もないのに「お前たちには負い目がある」なんて言われたら、これこそ将来世代への付け回し。自分らが総括もせず、処理もしなかった問題を将来世代に付け回してる。偽造された借用証書を後生大事に持ってて「こりゃうちの借金だから、お前たちも少しずつ返さないといけない」とか言われてるようなもんだわ。「誰がいつ借りたもんで、何に使う為に借りたんだよ」って聞いても「よくわからないけど、借りたって言われてるし借用証書も最近になって相手が見つけた。だから借りたんだろう。商売もしてたし借りたんだろうと思う」とか言われてるようなもんだわな。んな馬鹿な話あるかよってことですが。

国の借金ってのは、税金として払うわけですがこれがいくら積みあがろうと国家なんてのは万年赤字が常態化してるようなもんですからそれはそれでいい。借金の付け回しだなんだって騒ぐけど、経済成長して市場の規模を拡大すれば、それまでの借金なんてどうとでもなるだろ。国民がたゆまず努力を続けていくだけの話ではないのかと思うんだけどね。増税だ、破綻だと怖いこと言うから変な空気になるけど、経済成長さえ続けてれば借金なんてのは気にならんもんだ。経済が頭打ちだって誰が言ったんですかね。これまで人類の歴史上延々と拡大してきたものが、なんでこのご時世で頭打ちになるのか理屈が知りたい。

まぁ、年寄りは自分世代(その上のものかも知らんが)のケツも拭かずに死ぬんだからゴチャゴチャうるさい事言うな。そもそもアメリカの問題も、安全保障も、東アジアも、資源問題も、先の戦争の問題も臭いものには蓋で何もしてこなかったんだから偉そうな演説打てる分際じゃないだろうと。経済だけ考えてやってこられた戦後とはもう違うんだって事だ。精神的にも体力的にも自立した国家でなければこれから生き残れない時代になってきてるんだってことだ。そんなところをボケっと考えてバスに乗ってたわけです。

なんで、こんな事思ったかと言うと。帰りのバスに乗ったら当方が前に立った席に座ってた60歳くらいの婆ちゃんが、バスの回数券を出して手に持ったから「あ、この人もうすぐ降りるんだな。よし、座れる」と思ってたら、結局当方が降りる停留所がきても降りなかったからなんですが。全然降りねぇなら回数券なんか出すな糞ババア!お前が変な事しなきゃ俺は別の席に座れてたんじゃ!って思った次第です(笑)

お金が欲しい!正直だなぁ

今日というか昨日ですけど、ある人と話をしてる時にテレビで「石田さんちの大家族」みたいな番組がやってたのをチラリと見た。見てたのは時間にして10分ほどでしょうかね。12人家族でてんやわんやの大家族をテレビ局が取材してる番組でもう10年以上も取材を続けているらしい。取材を始めた頃には子供だった子がいまや社会人ですから。

そこで三男だっけかな?がテレビのカメラマンをやってて辞めると言い出してると。お母さんは色々心配してるわけですが、本人は辞めると。まぁお母さん曰くテレビの取材をされている過程でカメラマンが楽しそうにやってるのを見て憧れて入ったはいいけど薄給激務の仕事には耐えられないから辞めるんだそうだ。個人的には若いんだからそれはそれでいいんじゃない?とは思ったけどそうはいかない。

テレビ的にそういう材料はなんとか退職を思いとどまらせる方向に持っていきたいらしい。まぁ親御さんもそれを期待してるわけですが。本人に話を聞くと「将来に不安を感じる」ということと、「お金が欲しい」ということでもう辞めたいと。実に正直だ。テレビの前でこんな一般的に言えば馬鹿な事を堂々と言えるわけだから正直過ぎるくらい正直だ。年配者的に言えば「最近の若いもんは堪え性がない」となるわけだが。

いいじゃないか。金が欲しいと。今の仕事やってちゃ豊かになれないから仕事を辞めるんだと。まぁ一面的には間違ってないと思うんだな。ちょっとしか見てないからテレビ局の職員なのか製作会社の職員なのかわかんないですが、今我慢してりゃ毎年給料上がっていくと思ってたらそうはならんのではないかと思うし。もう3年もやってるけど、毎年少しずつでも豊かになっているという実感がなきゃ辞めたいと思っても仕方ないんじゃないかと。それこそ人として当たり前の思考じゃないだろうかと。

職種的に収入ベースが昔からそんなもんなんだってことなら仕事を変えるのはアリなんだと思うんですよ。しかしね。今、日本経済ってとんでもないデフレに陥ってるわけでどんな職種に就いても多分収入が上がるなんてことはないんじゃないだろうかと。まぁ異業種にいる友達の話なんかを聞いて隣の芝生が青く見えるなんてことはよくあることですけどね。長時間労働と上がらない収入とで疲弊してる感がすごく出てましたよ。言ってしまえば虚脱感というか達成感がないというか。

自分の働きに対して報われてるものがないという感覚というか。なんだかんだ言っても万人共通で達成感を与えられる方法は収入の増加なんですから。それを仕事の中にもお金に変えられないものがあるとか耳障りの良いことを言っても響かないというか。それで人が動くと思ってる経営者とか管理職が実際に多いと思いますし。そんな平和で経済がしっかりしてるようなとんでもない先進国でそんな理屈が通用するかと。人間豊かになればなるほど自己中心的になるもんではないだろうかと思ってるので。

労働賃金が上がらないのは結局のところ日本経済がデフレだからでしょう。物価が下がってるんだから賃金が上がらないのは仕事のせいというよりは経済がそうだからだと思うわけで。まぁ経済学部でもなんでもない一般教養で経済をちょろっと勉強しただけの当方が言うのもなんですが。要するに政治がデフレを克服しようと思って政策打てば解消されるレベルの不満だよなぁと思ったりもするんですよね。自分に対する無力感とか虚脱感だと思ってるけど実は政治がサボってるだけだと。世界の危機だと思ってたら自分の内心の悩みでしたみたいなエヴァンゲリオン並の。

民主党政府は今デフレを克服する為の政策を採っていません。むしろデフレをさらに推し進める政策が多いですよ。公共投資はしない、事業仕分けをする。歳入を上回る国債発行してるかと思うと子供手当てだの高校無償化だの経済に何の影響もないような政策に使う。これじゃデフレなんて解消できねぇよなぁと思うわけですよ。子供手当ても外人が大挙申請してきてるらしいね。それで大変だ大変だっておせぇよ馬鹿。日本人が賃金上がらないって悩んで仕事やめようとしてるのに外人に金配ってどうすんだアホ民主党。その金ちょっとだけ石田さんちの三男に分けてやれ。それで彼の悩みは解決するんだから。

デフレが止まない以上は労働者の賃金なんか上がりません。大きな労組でもある企業ならまだマシでしょうが、労組もないような中小企業の従業員はこれからも賃金は上がりません。デフレが加速すれば下がります。そういうものだともっと抽象的でしたが中学校で社会科の先生が言ってましたから。今の若者が抱えている漠然とした将来に対する不安感とか閉塞感なんてデフレ解消すればほとんど解消されるレベルの悩みなんだろ?と思ったりするんですよ。それで早死にしたいとか鬱だとか言ってるのが今の若者で。簡単だよ。積極的に財政出動しますっていう政治家を選挙で選べばいいんだよ。

財政規律だの財政健全化だのアホみたいに演説で言うやつには「お前、デフレ経済で財布の紐を政府が締めてどうすんだアホ。お前は政治するな」って落選させればいいんですよ。結局、若い人の悩みなんて働いても経済的に全然豊かにならないレベルに起因することがほとんどですから政治参加しないのは自分で自分の首を真綿で絞め続けてるようなもんだなぁと思った今日この頃。

石の上にも三年というが

いよいよ新生活が始まったという人が多いんですかね。社会人になった人は既に始まっているでしょうが、学生はまだですかね?まぁよくわかんないですけど。当方、よく一人で飲みに行く事があるんですが、今日も近所の焼き鳥屋で一人カウンターで晩飯がてら飲んでいるとサラリーマンのおじ様方に連れられた若いリーマンが5人ほどで入ってきた。

まぁサラリーマンの居酒屋での会話ってのは当方も経験ありますが、どうしても仕事の愚痴とか武勇伝みたいになるのは仕方ないんですかね。その中でおじ様が「最近の若いのがすぐ辞めていく。俺から見れば堪え性がないというか石の上にも三年って言葉があるように三年はやらないと駄目だ」みたいな話をしておられたんです。

一人で飲みに行くと他人の会話に聞き耳を立てて「なるほどなぁ」とか「へぇ」みたいなことを一人で考える癖がついて、誰かと食事に行っても他の客の会話が入ってくるようになってしまっています。石の上にも三年ってよく言いますよね。昔働いていた会社の副社長にも食事の席で言われた事ありますし、そこを辞める時にも上司に言われました。「はぁ・・・そうですよね。でも辞めます」みたいに特に気に留めてなかったんです。

でも、前職の会社では「とりあえず、ここで一年契約社員して他所を探そう」と思って入社したものの、すぐに正社員に登用され「よし、いっちょここは三年以上やってみよう」と思ったんですが、結局三年と数ヶ月で辞めました。元々、やりたい仕事ではなかったからかもしれないですが。考えてみりゃだいたい3年以上続いた事なんて仕事にしても趣味にしてもないなぁと思った次第です。

プロレスとか見る事に関してはそれなりに長いですが、それでものめり込むのはだいたい3年持たない。一番長いのが小学校へ6年間通ったということくらいですか。元々、飽き性なところがあるのと熱しやすく冷めやすい性格なのもあるでしょうかね。何事も浅く広くなので、何かに一途な人は尊敬します。まぁ見かけによらず短気な性格であることも影響してるんでしょうが。

今から考えれば恥ずかしい話ですが、20代前半の頃はイケイケだったので「お前、仕事辞めたって他にいくとこないぞ」なんて先輩社員から挑発されて「俺はあんたとは違う」とか言って辞めたこともありますし。この歳になって無駄に職歴が多くいろんな人も見てきました。まぁそれはそれでいい経験になったし、自分の価値観を定める上でもプラスだったと思ってるので今までの人生に後悔はないんですが。

でまぁ石の上にも三年って言葉ですが、確かにね。3年くらいやらないと何が何やらわからないというのは理解できます。その言葉には一理あると思います。ただ、人には向き不向きってのがあるわけで適性がないことをいくらやってても時間の無駄というか。その人が本当に将来的に必要だと考えているならそういう引き止め方もあるとは思いますが、どうでもいいなら好きなようにさせてやったら・・・とも思います。まぁ無駄と思えることを続けるうちに悟ったりすることもあるのでなんともいえないですけどね。

まぁ誤解を承知で言うなら離職率が下がらない職場は上司に問題ありですよ。会社に多少の問題があっても上司が魅力的な人物なら離職率なんて大して問題じゃないと思います。好きとか嫌いの問題じゃないですけどね。仕事はそういうもんじゃないとか言ってる間は状況変わんないよ?と思いますがね。まぁ楽しいとか楽しくないの問題でもないので言ってること誤解されるかもわかんないですけど。まぁその辺を悟りつつ現実とすり合わせをしている当方なわけです。悟りが足りない気もしますが。

綺麗事を言うとなんとなく気持ちいい

綺麗事を言うと自分は理性的で知的で常に冷静なものの見方をしているんだという錯覚に陥れる。どちらかというと、現実というよりは理想的な人に多いように思います。特に日本人は綺麗事が好きでもあると思います。日本人の美的感覚ど真ん中だという意見もあるし、伝統的道徳観と混同してしまってるだけだという意見があるみたいです。自分の周りですが。

日本人は「○○だ」みたいなのよく言いますけど、あるべき姿ってのはあるんでしょうが教育でこうあるべきだと教えられている道徳観って今はどうなんですかね。こうあるべきだとかいうものは教えてないんじゃないですかね。少なくとも「日本人とは」っていう教育を受けた記憶がない。そういう前提がないのに「日本人は~」というのはどうなのかと。

日本人は何でも理性的に解決する民族だというのと、物事の解決には強引な手法だったり暴力を使わないという事とは違うと思うし。日本が国際交渉で相手の良心を信じて交渉して失敗したケースはいくらでもあります。大東亜戦争なんかはそこがそもそもの原因ではなかったかと思うくらいで。今は日本人同士であろうが、相手の良心を信じた交渉なんて期待出来ない気もします。そんな国になった事に対しての憤りはありますが。

でも、相手を傷つけてはいけないとか思いやりという気持ちは個人のポリシーの問題であって、他人の行動に対して「こうしなきゃいけない」と冷や水をぶっ掛けるのは余計なお節介というか、価値観の押し付けのような気がしないでもない。あくまでも自分に直接の影響がある場合はこの限りではないですが。あとは政府とか官公庁とか企業なんかの公共に対してはモラルを求めるのは当たり前です。

まぁそこらの市民団体とかの活動に対してどうこう言うのは個人の意見としてはまだしも、それを当事者に行動の是正を求めるってのは個人でやる範囲を超えてるだろうと思うわけです。まぁ善意のお節介というか、自己満足というか。そういうものは余計な摩擦を生むだけのような気もするんですよ。綺麗事は言ってる本人だけが気持ちのいいもので周りには迷惑でしかない事ばかりでもあるし。

余談ですが、日本の朝鮮統治なんかも基本的に善意のお節介だったと思うわけで(日本の安全保障上の必要もあったでしょうが)、それが今の世の中では日本にとっては非常に迷惑な事になってるわけです。少なくとも日本政府が悪意を持って朝鮮を統治していたという根拠はないと思いますし、民間レベルでどうだったかまでは知りませんがそれは「日本が悪い」ことにはならんでしょう。あくまで個人レベルで蔑視してたような人は個人レベルで反省してればいいし、賠償したければすりゃいいわけで日本人の連帯責任にされちゃ迷惑です。

なんかネット見てても、実社会でも綺麗事言う人多いなぁと思う今日この頃です。

奨学金は借金ですから返しましょう

>奨学金滞納者ブラックリスト化 京都の大学生らが反対デモ(MBSニュース)

日本学生支援機構が奨学金滞納者をブラックリストに載せるとしているのに対し、京都の大学生らが反対デモを行い制度の見直しを訴えました。

「大学の学費高すぎる、もう払えないぞ」

京都・四条通りなどを仮装した大学生や大学院生らがデモ行進しました。奨学金滞納者をブラックリスト化することに反対するデモです。

奨学金制度を巡っては、滞納者の増加を受けて、おととし、日本学生支援機構がブラックリストを作り、取り立てを強化する対策を打ち出しました。

ブラックリストに載ると全国の金融機関でつくる信用情報機関に登録されるため、滞納者は不良債務者扱いとなりクレジットカードやローンの利用ができないおそれがあります。

学生らは「就職難の中、ブラックリスト化によってさらに生活が困難になる」と反発しています。

(引用ここまで)

 

まぁこんなのは一部のおかしなのが煽動して世間知らずを動員してるんでしょうが。そもそも奨学金というのは借金ではないのですか?借金をしてまで勉強したい人が利用するものでしょう。借りたものを返すという当たり前のことすらわからないんですかね。今の大学生と大学院生は。借りたものを返さなくたって身柄を取られるわけではないし、それなりのペナルティーを受けてもらいますというだけでしょう。どうということのない当たり前のことで。

「大学の学費高すぎる、もう払えないぞ」って払えなきゃ働け。別に高等教育受けなくても働けば生活は出来るし、経済的に学業を諦めている学生なんていくらでもいる。それでも勉強したいから借金して学校へ通ったんじゃないの?授業料は事前に通告された額しか徴収されないはずだが?納得して入学したんじゃないのかね。発想がまるでガキだ。義務教育であっても学校へ通っているだけで金はかかっているのだよ。義務教育を終えたら親に教育を受けさせる義務はなくなるので、そこから先は任意なのだよ。まぁ高校までは半ば義務化してるが。

奨学金などとは全く無縁というか、利用した事がないのでわからないから日本学生支援機構のWEBサイトを見てみた。奨学金にも種類があって第一種奨学金というのが特に優秀な人に無利息で貸付られるもので、第二種奨学金というのが一定の基準さえ満たせば有利子で貸付られる奨学金だそうだ。まぁ要するに学業をすることで社会に貢献出来ると認められた人は無利息で学費を調達出来る制度のようだ。

しかも、第一種の場合は在学中に優秀な学業を修めたものには返還を免除する制度がある。つまり勉強することで実績を残した人は返還しなくても良いということらしい。第二種に関しては免除要件は死亡するか障害者になるか精神病になるかしかない。まぁ要するに金は貸してやるけど、卒業して社会に出たら働いて返せよという知能指数を審査基準にするローンだ。自分の能力を担保にする借金だ。しかもほとんど信用貸付。

借りたものを返さなければブラックリストに載るのは仕方ないというか社会のルールだ。身柄を取られるわけでもなければ強制労働させられるわけでもない。ただ、信用情報に「この人は借りたお金を返してませんよ」という事実を記載されるだけだ。ニュースではクレジットカードやローンを利用できないおそれがあると書いているが、おそれではなく間違いなく利用できない。

確か完済したところで完済した事実は載るが事故情報は一定期間消えないんじゃなかったかな。そこら辺はちょっと覚えてないが、信用情報に事故情報なんか載ったら色々面倒な事もある。まぁ奨学金程度を踏み倒そうとする人なら一般のクレジットやローンは利用しない方が身のためってものだろう。いずれ金融事故を起こす可能性が高い。

しかも、この奨学金。親切なことに返済猶予制度まである。生活困窮していれば返済が猶予されるらしい。こんなの一般のクレジット会社とか銀行じゃ考えられないよ。返さなければ相談には応じてくれるだろうが、待ってくれて1ヶ月がいいところだろう。この奨学金の生活困窮の基準がまた甘くて年収で300万以下だそうだ。アルバイトとか派遣ならまず生活困窮認定だろ。借金してる分際でそれで返せないとはどういう了見か。

こんなので事故になる奴はよほど悪質な場合だけだろ。どう考えても借りたものを返したくないだけとしか思えないんだよ。返さなくても何のペナルティーも受けたくないという。どんだけ世間知らずのガキなんだよ。借金して学校行ったんだから働いて返せよ。支援機構も言ってるだろ、お前らが返した金が後輩の貸付金になるんだって。お前らで流れを堰き止めてどうすんだ。

返済免除も受けられない程度なら、さっさと野に出て働いて少しは社会の歯車として社会貢献しろと感情的になってしまいました。借りたものは返す。返さなきゃある程度の不利益は甘んじて受けましょうということです。別に殺されるわけじゃねぇ

平成22年成人の日

今年も成人の日がやってきました。元旦を除けば初めての祝日です。なんかいつからだったか連休にする為に(ハッピーマンデーだっけ?)1月の第2月曜に変わったんですよね。当方が成人を迎えた時には成人式の案内はきましたけど、なんか参加は抽選制だった気がする。会場に新成人全員は納まりきらないんですかね。当方は思春期を過ごした時期とは違うところに住んでいたので行っても知ってる人いないという理由で行かなかったと記憶しています。

だから成人式の思い出と言っても特にないというか。飲みに出掛けたわけでもなければ普通の休日として過ごしたような気がします。それから何年後かくらいに新成人が酒に飲まれて式をぶち壊したとか暴れたとかいうニュースが各地で出始め、今になってもそういうニュースは毎年の恒例のようになっています。今年も出てましたね。だいたいが酒に飲まれて起こす不祥事のような気もしますけど。酒は飲んでも飲まれるなって今はあんまり言わない気がしますけど、そういうことって教えないんですかね。親が。

まぁそもそも大人としての振る舞いを身につけなければ恥ずかしい年齢ですよというのが成人だろうと思うんですが、今は別にそういうわけでもなく酒やタバコをやって問題のない年齢になったというだけになった感じもします。成人年齢を引き下げるとかどうとかいう議論があるようですけど、成人としての定義をハッキリさせないとね。単にタバコや酒なんかの嗜好品を嗜んでいい年齢とか選挙権のある年齢というのが。全ての責任が自己責任になるという意識が薄い以上は別に成人年齢が18になろうが20であろうがどっちでもいいというか。どっちにしろガキなんだろっていうだけで。モラル意識が重要な問題なんだっていうところだと。

どっかのblogで「親は子供の機嫌を取ってはいけない」と書いてあったんですが、その通りだなと。まぁ当方にとっても耳の痛い話ではあるんですが、早い話が親の過保護が社会の幼稚化を招いているというか。人の親ではないので偉そうな事は言えないですが、親を殺しただの子供を殺しただのと言ってるかと思うと日本はまだまだ子供に甘い親が多いのかなと。可愛い子には旅をさせろとはよく言われますけど、言いえて妙ですよね。当方も親には高校を出たときに言われましたが、「どこか親の目の届かないところで社会に揉まれて生きなさい」と。自分以外に頼るものがないという状況で生きる事で人間は成長するんだと。まぁ30歳を目の前にして「あぁそうかもなぁ」と思っています。

社会的に見るとまだまだ若い30歳目前の当方ですけど、若いと言われるには若いわけでもないわけで。この頃よく思うのは「少年老い易く学なり難し」って言葉です。やっぱり勉強はやり始めて遅いってことはないんであって、若いうちにやるほど身になるというか飲み込めて血肉になるっていうことですよね。学齢を過ぎてからやっても覚えは悪いし、仕事の傍らにやるわけですから身につきにくいですし。まぁ歳食ってからやる勉強ってのはだいたい必要に迫られてとかいう事が多いわけですけど。何にしろ基礎が出来てないと苦労します。これは実感として思いますね。

親からは「若いうちに勉強しとかないと後で後悔する」と口酸っぱく言われてましたが、その時はうるせぇ馬鹿くらいに思っていたんですが、今になってあぁあの時やっとけばなぁなんて思うことも少なくはないですよね。そんな事を話してた時に「まぁ後悔先に立たずだけどね。学生の頃に戻りたいと思っても無理だし」とか言ったら「戻ったってやらなかったもんはやらないよ」と言われました。まぁそうかもしれないな。今学生ん時に戻ったら勉強するとか言っても多分戻ったらやらないだろうな。まぁそこが本質ですよ。そういう奴なんだっていう。

今年の成人式のニュースを見ていて、例年のように新成人が騒ぎを起こしたって言ってるけど大人がそんなことに眉間にシワを寄せられた立場かと思ったんですよね。確かにそりゃモラル意識の欠如は憂うべき問題ですけど、そもそもそういう子供を育てたのは大人なんですからね。やっぱり鏡を見てるんだと思って反省すべき点もあるだろうと。自分の子供が成人する世代の大人は反省すべきでしょうと。もちろん問題を起こした新成人は大人になったんだから、自分の事は自分で律して子供を卒業しなければならないという気持ちを新たにすべきだろうとは思いますけど。こういうことはどこでもニュースになるようになりましたしね。

これからの日本を背負う世代ですから、共に日本を繋いで行きたいですよ。まぁ大まかに見れば同世代みたいなもんですし。とにかく新成人の皆さんおめでとうございます。

若者は日本の未来に光を見出せない

新年に入ってから更新頻度が落ち込んでいます。単に邪魔臭いとか気がついたら日付が変わっていてスルーしてたりとか色々。もう怒りに耐性がついてしまったのかニュースを見てもblogのネタにしようとか思わなくなっているとかもあるか。まぁいけないことですが。異常なことですが。でも、密かにこのblog見てる人があんまりいないんですよね。そりゃ特に宣伝もしてないし、見られることは少ないのかもしれないけど。少し他のblogと仲良くなるとかしないとダメかな。

で、表題の話題へ。以下のような記事がyahoo!!newsに出ていたので取り上げてみる。

>日本の未来、8割「暗い」=自分については6割楽観-新成人調査(Yahoo!!News:headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100109-00000068-jij-soci)

これ、8割は未来に明るい材料を見出せないのに、自分の将来については楽観的だという記事です。これってどういうことなんですかね。全体として明るくないと思ってるのに、自分だけは暗い未来にならないということですか。社会が暗ければ自分も暗いだろう。全体として悪いと思い込んでいるけど、自分の状況はそれほど悪いと思っていないということの裏返しでしょうか。今の現状に正直日本の若者は不満を感じていないことの証のようでもあります。

別に日々食うに困るわけでもなければ、服を買ったりカバンを買ったり、ウォークマンを買ったりケータイを買ったりすることにそれほどの苦労を感じていないんでしょう。まぁそういうものは基本的には様々なコストカットという苦労の結果として、多くの一般人が買える値段になっていますからね。一般人が買ってくれないと商売にならないと言ったらいいんでしょうか。そういう物質的な不満がないと言い換えてもいいかもしれないですが。

日本の企業で正社員として働ければ、年収300万はあるだろうし自分一人が文化的生活を営むだけなら全く問題ない。しかし、家庭を持って子供を育てようと思ったら無理だってことなんですよね。多分。それじゃ国力は先細りするじゃないかって思うけど、自分さえ良ければそれでいいっていうことですか?自分が家庭も持たず子供もいない独身なので偉そうな事は言えませんけど。よく、周りからは「結婚しないんですか?」って聞かれる年齢になってきましたが、ぶっちゃけ結婚願望ほとんどない。ないって言えば嘘になるけど、結婚という価値観が自分の価値観とうまくマッチしないというか。

そりゃした方がいいんですけど。世の中の普通の人はするべきだし、子供もドシドシ作るべきだと思います。でも、当方ぶっちゃけ普通の人生歩んできてないと思うし、それに当方のような性格の者は結婚なんかしたら相手にも周りにも迷惑振りまきまくること間違いなしのような気がするんです。それでも結婚してもいいよって女性がいるなら結婚したいですけど。そんな人なかなか居ないしね。まぁ当方はもう5年ほど一人の女性と同棲状態ですけど、相手に結婚願望ないのが幸か不幸か結婚しておりません。まぁ内縁のような状態ではありますけど。

でも、思うんですよね。多分自分の価値観とか勝手な行動を理解してくれる人は居ないって。5年も一緒に住んでるんだから理解してくれてるような気もしますけど、まぁ一緒に住んでるのは互いに最小限の干渉しかせずに互いの生活に立ち入らない関係でいるからだというのが当方の見解ですし。互いが数日家を空けても何も聞かない興味を持たない。そんな男女関係正常ですか?倦怠期夫婦でもあり得なくないですか?だから当方普通じゃないと言うんです。その先に普通の幸せってありますかね。新成人じゃないですが、明るい未来は見えません(苦笑)

だからと言って別に仲が悪いわけでもなく、普通に二人で外出したり外食したりしますし。まぁ友達以上恋人みたいなものって関係ですかね。それが同棲というより共同生活をしてるだけなのです。当初のように亭主関白を気取ろうと思っていたものが、いつのまにか家事はほとんど当方の担当で、もう洗濯なんて30回以上当方がやってます。「女の下着を洗うなんて屈辱以外なにものでもない」とか一応男尊女卑っぽい事を言っておきますか。愚痴になってきたので話を戻しまして。国家のあり方ってのは国民が真剣に考えるべき問題です。国の未来を真剣に考え憂うってことを日本人はずっと怠っていたと思うんです。

典型的な普通の生活をしていない当方のような人間でも、日本という国の未来を憂いているんです。別に日本人の伝統的道徳観から少しくらい外れていても国家を想う気持ちは持っていて当たり前だと思っています。外国人に参政権を与える事は日本人の利益になるのか?夫婦が別々の苗字を名乗る夫婦別姓には何の意味があるのか?自由社会を脅かす人権擁護法案は国の未来にプラスになるか?と、国体を破壊する事は自分に必ず降りかかってくる事です。服を買えるかケータイを買えるかって生活に密着した問題以上に自分の未来に大きな影を落とします。

だから身の回りに危機を感じないから自分の未来は明るいと新成人は考えているんじゃないかと。それでも本能的に国の未来は暗いと感じているんじゃないかと。そんな小難しいことを考えていました。国の未来を考えることはイコール自分の未来を真剣に考えることだと思う次第です。国のことを考えない奴は自分の未来にも興味のない人であるということです。個々人よく考えましょう。

幼児化が進む社会

ホントに日本社会は幼児化が進んだと思う。便利になったと言えば聞こえはいいけど、つまるところ幼児化ではないのかと。今日、スーパー銭湯のサウナでテレビを見てたら「液体味噌」なる商品のCMがやってた。なんでも湯に入れるだけですぐ溶けるのが売りだそうだ。味噌汁作るときに味噌を湯に溶かすのが面倒だと思った事がなかったので少し着想にはビックリだったが、これが売れてるらしい。

なんでも手間いらずで出来る商品が増えた。便利になったのと同時に思考するとか手間をかけるということがドンドン必要な事でなくなる。企業はニーズに応えるだけだけど、それでいいのかとも。まぁ仕方ないっちゃ仕方ないんだろうけど。ただ、良いものが駆逐されているような気がしないでもない。効率化という名の下に本当に大事なものが失われているような。味噌の話は単なる一端ですが。

好きとか嫌いとか、当たり前の感情をストレートに表現することが必ずしも良いことかどうか。当方サラリーマンなので思うんですが、気の合う人とか自分の事を理解してくれていると感じる人とかしか付き合わなかったり、接しようとしなかったりする人が増えているような気がします。要するに居心地が良い方に流れて現実逃避にも似た行動を取る人が。プレッシャーとか威圧とかそういうものに極端に弱い人が。

とにかく、自分が苦しい事とか辛い事が目の前にあるとそこから遠ざかろうとする。まぁ人間ですから防衛本能が働いてそうなる事はありますが、何でもかんでもとなると違うだろうと。そういうものを跳ね返す力もないし、耐性もない。極端な場合は辞めたりするし、だいたい自分が圧力を感じる人と接しようとしない。話をしてもぶっきら棒で聞いてるのか聞いてないのかわからない。自分にとって耳の痛いことはとにかく聞き流したり、排除しようとする。そこを意地でも克服しようとするだけの力がない。

だから周りからは迫力に欠けたり頼りなく見えたりする。上司と話してる時にはどうしようもない奴なのに、気の合う人と喋る時には別人みたいに生き生きしてたりする。誰でもあることでしょうが、とにかく自分本位過ぎると感じます。自分は別にその人に評価されたり認められなくてもいいと会社とか社会の構造をまったく無視した行動を取る。とにかく自分の居心地が良ければそれでいいという考え方。例によって自分の部下なんですが。

とにかく、助けてもらいたい時だけしか話をしてこない。それでいて助けてもらっても「それが当たり前」という態度。少し叱責されると不貞腐れるか、現実逃避を始める。そんな奴のどこを評価しろと?どこを認めろと?(笑)そういう態度だから仕事が教えてもらえない。出来ない奴だという評価が定着する。それでも現実を認めたくなくて気の合う人に仕事のやり方を教えてもらおうとする。「何で俺に聞かない?」と言われても「お前には聞きたくない」と態度が雄弁に物語る。結果、勝手にしろと放置されて更に出来ない奴になっていく。

それは自分の言動が招いた結果だと考えず、教えなかったあの人が悪い。俺がこんな状態になってるのはすべてあの人のせいだと。思ってるかどうかは知らないけど態度がそう言ってる。「やる気ないんだったら辞めたら?」思わず言った一言にも「お前とやりたくないだけだ」と目が訴える。もうその幼稚さに付き合いきれないと思う今日この頃。当方もそんな時期はありましたから、ある程度の理解はあったと思うし歩み寄った指導をしたつもりだったんですが、それが彼を勘違いさせる結果になったのかもしれない。まぁ最初からそうだったと思えばそうだったかもしれないけど。

一つ仕事を手伝えば、もう手伝ってもらえるのが当たり前。自分が休んでる間に施策を進めておいて欲しいときたから、「自分の仕事は自分でやれ」と言ったら、無言で立ち去り何やら文句を言ってるらしい。さすがにカチンときて

「お前、いい加減にしろよ。辞めるか?別にいいぞ。明日から来なくて。辞めさせる権限はないから、お前が辞めないなら俺が辞めるわ。お前なんかと一緒に出来るか!」と言ったまでは良かったが、それだったら俺も同じか?とか思ったけどさすがに今日は溜まってた鬱憤が噴出してしまった。多分帰って親に散々愚痴ってるんだろう。

当方ならとっくに辞めてるだろう状態でも辞めないって神経太いのか無神経なのかよくわからない。最近のゆとり世代は手強いと聞いてきたけど、それを身をもって実感してる次第です。まぁこんな事なくても当方はそろそろ辞めるかもしれないけど。

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