世の中不況不況とあまり言わなくなりましたが、それでも企業は儲ってないし経済も上向いてはいないようで。新型インフルエンザとか色々マイナス要因もあるにはありましたけど不況はまだまだ終りそうにないという感じがします。で、表題。この不況で職があるだけありがたいと思わないといけないのかもしれないんですが、「自分にとって天職とは何か」という事をずっと考えています。
ちなみに、当方は今までいくつかの職に就きましたが未だ天職だと思える仕事はないわけで。まぁそりゃ30手前の若造にそんな事を悟れるほど簡単なもんじゃないんでしょうが、若ければ若いほど何かに夢中になれるものではないかと思うわけです。しかし、当方は「何か」に夢中になったことが未だにないわけで。その夢中になれる「何か」を毎日探して考えているわけです。
年配者には「物事は10年やって初めて一人前になる」とか「好きな事で飯が食えるなんて一部の限られた人の話だ」とか「とにかく何も考えず働け」とか言われますが、まぁ言わんとすることはわかる。社会とはそうやって何も考えず働いてある程度経験を積んだ人たちによって形成されていることは。所謂サラリーマンといわれる人たちがそうなんでしょう。そして当方もそのサラリーマンなわけだからそうあるべきなのかもしれない。
でも、どっか満たされない。お前なんか満たされなくていいんだと言われるのはわかってますが、やっぱり満たされたい。それにはリスクを背負わないといけないのは薄々わかっちゃいる。いずれはそのリスクを背負って動こうと思っているけど、タイミングというのがある気がする。そのタイミングが目の前に来たときに掴める準備だけはしておきたい。もしかしたらタイミングは既に過ぎ去ったのかもしれないけど・・・
当方としては、3年後をタイミングと考えています。まぁ個人的な色んな理由とかあるんで3年後なんですけど。身の回りがキレイになる予定のその時には会社をドロップアウトするかもしれない。なんか異端者志向というか人から理解されない生き方を欲しているような気が自分で自覚し始めている。「あいつは何を考えてるかわからない。バカだ」と常識では測れないところへドロップアウトする事で何かが生まれるような。まぁそれなりに社会的地位もあるし、社内での序列もある程度認められていると言っていいと思う。だからこそドロップアウトしたくなる。やっぱり破綻者だ。鷲津巌に「狂人めが!」と言われるほど狂ってると自分でも思う。
そうやって一瞬一瞬を真剣に、時には物凄くいい加減に生きる事で明日死んでしまっても悔いの無い人生を生きたいと思うようになった。その為には家族を持ちたいと思う欲は捨てること。子供が欲しいと思う欲は捨てること。それは物凄く孤独な事かもしれないけど、自分の欲する生き方を貫きながら迷惑を最小限に抑える為には必要な事かもしれない。そう、3年後当方はもしかしたら結婚しているかもしれない。そうであれば、自分である事を捨てたということかな。精神的出家をしてしまった状態だろうな。多分、結婚という選択をした瞬間俺は実質的に死んだも同然になるだろう。
こんな事書いてると、同棲中の誰かに「ばっかじゃないの」とか言われそうだ。まぁ四六時中「バカだバカだ」と言われているのでもう慣れた。相手も結婚は望んでいないようなので幸いだと思っている。今はなんとなく一緒にいて、共同生活してるけどいつか終るものだしその時まではなんとなく続くんだろう。既に共同生活5年目だし、その辺は多分お互い割り切ってるはず。なんか30を迎える現実と向き合うと下らない事ばかりが頭に浮かぶ。いやぁ若いな。若い。俺もまだ青春してるわ(笑)

