2012年もう一ヶ月終了。時間が経つのは早いもんで(2012/02/04)

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批判を許さない全体主義政権は倒されるべき

2010年11月22日産経新聞WEBより引用

民主党は「民の主人」になったか 立命館大学教授 大阪大学名誉教授 加地伸行

語るに落ちた仙谷官房長官

「暴力装置でもある自 衛隊」と仙谷由人官房長官が18日の参院予算委員会において発言した。「国家の暴力装置」というこの言葉、四十数年前の大学紛争のころ、全共闘系学生集団 いわゆる新左翼が警察、特に機動隊を指していつも使っていた。この発言により、仙谷某が新左翼思想の持ち主であることを自ら示した。こういうのを「語るに 落ちる」と言う。

当時、新左翼は本気で、かつ無邪気に暴力革命によって政権を手に入れようとした。だから、敵対者となる警察や自衛隊を、彼らにとって「国家の暴力装置」と位置付けたのは当然であった。

しかし、もし自分たちが社会主義革命に成功して政権を得たとしたならば、今度は立場を替えて、警察・自衛隊を自分たちを守る暴力装置として使い、政権を批 判する自由な発言を許さず、弾圧するわけである。その前例こそ、旧ソ連のスターリン政権であり、中国の毛沢東政権であった。

仙谷発言は決して一時的な不用意発言ではなく、本音なのである。すなわち、〈民主党政権を批判・非難する者は、軍や警察によって鎮圧する〉という心底を洩らしたまでである。

事実、北沢俊美防衛相は、民主党政権を批判した民間人挨拶をきっかけに、防衛省幹部を集めた会議を開き、施設内における政権批判を許さぬと決定をし、次官通達として公的化したのである。

それならば、あえて言おう。その事件が起こった埼玉県の航空自衛隊基地の近くに、人事院の公務員研修所がある。そこの講師として、この10年近く、毎年1回、私は出講してきた。対象は中央省庁の課長級であり、まさに、我(わ)が国を背負って立つ人材群である。

左翼的政党による大誤解

その講義の際、私は自民党であれ民主党であれ、批判すべきものは批判した。のみならず、選挙による議員という民選政治家と、国家試験合格による官僚という "国選政治家"とは、上下の関係ではなくて対等の関係であると論じてきた。これは私の持論であり、議員らによる政治主導なるものへの真っ向からの批判であ る。それを公務員研修所という公的施設内で毎年、論じてきたのである。

そういう私をどうするのか。北沢流ならば、来年度の講師依頼をして はならぬと人事院に対して、内閣は圧力をかけるべきである。さらには、官公庁の施設内においては、表現・思想の自由は許さぬという次官通達を全省庁におい て発すべきである。また、それと連動して、全国官公庁にある膨大な数の掲示板に貼(は)り出されている、労働組合の極めて政治的な諸反対声明文も許しては ならない。

そもそも民主党は民主主義を誤解している。欧米の思想である民主主義は、自立した個人を前提にした〈民が主〉人ということだ。民は、それを選挙という方法によって表現する。

しかし、東北アジアでは、自立した個人という思想・実践はなかなか根付かない。そのため、投票という手段だけがクローズアップされる。個人主義という前提 は問わず、形式・手段だけが目的化され、投票数の多さを競うのみとなる。故田中角栄氏やその流れの小沢一郎氏らがその典型だ。

だから、選 挙が終わると、民はお払い箱となり、単なる愚昧(ぐまい)な存在としか見なさない。民主党がそれであり、民が民主党を批判することなどもっての外で許さな い。新左翼も、もし政権を握っていれば、そうなっていたであろう。つまり、〈民が主〉人ではなく、己れが〈民の主〉人と化す。これが、左翼的民主党の民主 主義理解であり、大誤解なのである。

「批判は先生」と古代の宰相

東北アジアでは、もともと「民主」という語は「民の 主」すなわち君主のこと。また、明治維新前後、選挙で政権担当者が交代するデモクラシーという語の中身がよく分からず、「下克上」とも訳した。自立する個 人という生き方、そうした文化なき東北アジアにおいて、これは名訳である。

それなら、一知半解の欧米思想に頼るよりも、政治の知恵の宝庫である儒教古典に範を求める方がまだましではなかろうか。

中国は古代、子産という名宰相がいて、善政の名声が高かった。しかし、世の中は全員が満足するわけではない。村里の学校(郷校)に人々が集まり、あれこれ 子産の政策の悪口を言っていた。そこで、部下が子産に「学校をつぶしましょう」と言ったところ、子産は「人々の批判は私にとって先生である(吾(わ)が師 なり)」として、廃校を許さなかった(『春秋左氏伝』襄公(じょうこう)三一年)。

子産を尊敬していた孔子も同じ心構えであった。批判者に対し、こう述べている。私は幸せである。私に「荀(も)し過ち有れば、人 必ずこれを知る(批判してくれる)」(『論語』述而篇)と。

政治家にとって最も大切な心構えは、己れへの批判を感謝して受け止め生かす謙虚さである。それの方が形式的民主主義による多数決よりも価値が高いのである。

引用ここまで

何をしようが自由な言論を封じるのは言語道断だ。自分が為したことに対して批判を許さない姿勢はまさに全体主義の恐怖政治じゃないのか。本性というのは滲み出てくるもので、いくら隠してもふとしたところからポロリと落ちる。支持率も末期的で既に死に体。余計な事を何もせず退陣しろ。

と、コラムについてはここまでで。批判は先生だと。他人の批判を許さないようになってはいかんという事については考えるところがあった。やった事に対する他人の批判や忠告を素直に聞き、真摯に振り返る事は重要な事で、時には自分ですら気がついてないことを指摘されることもある。

壁に当たったときに何故うまくいかないのかと悩んでいたりすると、そんな他人からの批判に答えの糸口があったりもする。個人的にはすぐにカッとなる部分があるので他人からの評価はあまりよくないだろうが、後から一人で真摯に反省している次第である。よく他人からの批判を一切許さない人がいる。権力を盾に一切の批判に聞く耳を持たない人。

そういうのを裸の王様というのかと思ったところだ。ま、自分に自信がなければ他人の言うことばかりに耳を取られてばかりでもダメだろうが、思い返して反省するべきところがないと人間成長しないと思う今日この頃。

健忘症だったり放言だったり

以下2010年10月29日産経新聞WEBより引用

陰の総理が「表の総理」に 「産経はキャバクラ広告載せるのでは」と放言

仙谷由人官房長官は29日、外遊中の菅直人首相の首相臨時代理として閣議に臨んだ。「陰の総理」が表の主役となった形で、閣議開始前の写真撮影ではいつもは菅首相が座る中央のいすに腰を下ろした。ちょっと落ち着かない様子だったが、ほおはゆるみがちだった。

また、この日の衆院内閣委員会では、首相不在で気が緩んだのか、自民党など野党側のボイコットで質疑が止まっていた最中の雑談で、新聞広告にまで口を出した。

自身の慰安婦問題に関する発言を報じた29日付の産経新聞朝刊の記事のコピーを手にした岡崎トミ子国家公安委員長に、仙谷氏はこう話しかけた。

「産経新聞はそういう書き方をするんですよ。近ごろは健康食品の広告ばかり。そのうち、キャバクラの広告を載せるのではないですか」

「ちょっと放言癖がある」(平成21年9月30日の内閣府政務三役会議)と自認する仙谷氏だが、国会で何を言っているのだか。

引用ここまで

坊主憎けりゃ袈裟まで憎い。産経新聞に目立つ政権批判と官房長官批判の記事が腹に据えかねたのか、新聞に載っている広告に文句をつけたというニュース。ていうか、健康食品の広告だから何が問題なのか・・・凄い差別発言ですね。健康食品からキャバクラという流れが理解不能だけど、仙石氏の理解では「健康食品=キャバクラ=低俗な仕事」との認識なんでしょうか。

まぁ皮肉を言ったつもりだろうけど、とんでもない差別発言である事すら気づいてないのか。そもそも日頃から差別差別だの人権人権だの平等平等だの言ってた元弁護士がこの程度。要するに自分たちに都合のいい差別や人権は言い立てるけど、自分に関係ないものには興味ないってわけだ。実は自分たちが一番差別主義者だということだな。そもそも他者に対する見下しがあるからこういう発言に繋がるわけでしょうし。

政治家としてどうなのか

以下2010年10月24日読売新聞WEBから引用

鳩山前首相が引退撤回「続ける方向に傾いてる」

ベトナム訪問中の民主党の鳩山前首相は24日夜、ハノイ市内で同行記者団と懇談し、「議員を続ける方向で気持ちは傾いてきている。今年中にでも結論を出す必要がある」と述べた。

6月に首相を辞任した際の「次の衆院選には出馬しない」との発言を事実上撤回するものだ。

鳩山氏は「党の状況が決して思わしくない。自分なりの役割も、こういうところで投げ出していいのかと色んな方々から声を頂いている」と語り、外交分野などで首相経験を生かしたいとの意欲を示した。

鳩山氏は次期衆院選への不出馬を表明した後、地元後援会関係者から出馬を求める声が強かったため、7月の後援会会合で、2011年の統一地方選の時期まで結論を先延ばしすると述べていた。

引用ここまで

あっちにフラフラこっちにフラフラ。まるで政治家としての資質を疑う態度の二転三転。自分で決めた事を人に言われて易々と変える人の言う事なんて信用してはならない。しかも、国民の誰も期待していない人が「やっぱりやりたいんですけどぉ」とか言われてもニーズありませんから。

仙石が記者会見で記者の質問に答えず

以下産経新聞WEBから引用

仙谷氏、国会での謝罪に「ノーコメント」6連発

仙谷由人官房長官は22日、参院議院運営委員会理事会に出席し、自身の国会答弁に批判が出ていることについて「不適切な答弁があったことを陳謝する」と述べた。しかし、その後の記者会見では、どの答弁が不適切かを聞かれても「ノーコメント」を6回も連発し、理事会で「真(しん)摯(し)な答弁に努める」と約束したのとはほど遠い対応をみせた。

記者「どういう点が不適切だったのか」

仙谷氏「ノーコメント。はい、(次)どうぞ!」

記者「謝罪の感想は」

仙谷氏「ノーコメント」

記者「議運理事から発言はあったか」

仙谷氏「それもノーコメント」

記者「与野党協議のあり方が議論されている中、自身の答弁が議運で問題視されたことについては」

仙谷氏「ノーコメント」

記者「長官、なぜノーコメントなのか」

仙谷氏「ノーコメントだからノーコメントだ」

仙谷氏は会見で、理事会での謝罪内容を読み上げた後、記者団の質問に対し、このような対応をみせた。

21日の参院内閣委員会では、報道機関による答弁の"つまみ食い"を避けるため、記者会見の一問一答全文を首相官邸のホームページ上で公開する考えを明らかにした仙谷氏だが、日ごろから強弁やはぐらかしも多い。

公開によって、この日のやりとりのように、傲(ごう)慢(まん)さをみせる仙谷氏の実態も赤裸々にさらされることになりそうだ。

引用ここまで

ほんとどうしようもないな。何様のつもりなのか知らないけど、こんなのが政府の要職に居座り続けることが許されるのか。別に自民党時代から同様の件については記者の質問は変わるところはないんだけど、自民党時代は平身低頭というか抗弁しようものなら「居直り」「反省の色なし」などなど叩かれるのが常というか。

税金で給料もらってる人間の言動とは思えない。別にマスコミに気を使うことはないにしろ、自分のやったことへの質問ぐらい答えろよ。だいたい言動が不適切だとして謝罪したんだから言ってることとやってる事が違うじゃないか。強弁やはぐらかしでディベート能力が高いと言われても・・・弁護士さんなら「しょうがねぇな」で済むかもしれんが、政治家だろ仙石は。自覚ないと見た。

それにしても「反日デモに参加する事は国益に適う」とか口走る頭のおかしい国家公安委員長とか、存在感なくなった首相とか、外交ロクに出来ない外務大臣とかどうなってんのよ日本政府は。そりゃ居酒屋で「あんなだったら俺でも大臣できる」とかオッサンに言われるわけだわ。

岡崎トミ子公安委員長「反日デモは国益にかなう」

2010年10月22日産経新聞WEBより引用

岡崎公安委員長「反日デモは国益にかなう」 民主は質問取り下げ求める

岡崎トミ子国家公安委員長は22日の衆院法務委員会で、自身が通常国会の会期中の平成15年2月、ソウルの在韓日本大使館前で韓国の慰安婦問題支援団体主催の反日デモに参加したことについて、「私は国益にかなうという思いを持っている」と強調した。菅直人首相はこれまで「本人は過去の言動に配慮に欠けた面があり、誤解を招いたことを深く反省している」(6日の衆院代表質問)と答弁しており、閣内不一致の様相を呈している。

岡崎氏はデモで韓国人参加者と大使館に向かってこぶしを振り上げた。現場には日の丸に「×印」をつけた看板も並べられていた。

岡崎氏は「私の活動が『反日』だといわれたことが誤解だ」と主張。「×印」付きの日の丸については「後方にあったので気付かなかった。日本の国旗国歌を尊重することは大事だと考えている」と弁明。デモで訴えた内容については「人間の尊厳回復を訴えた」と述べた。

質問した自民党の稲田朋美氏は「日本の国会議員として適切ではない。(岡崎氏が)日本の治安のトップにいることは不適切だ」と厳しく批判した。

これに先立つ法務委理事会では、民主党側が稲田氏の岡崎氏への質問通告の内容が「法務委になじまない」として質問取り下げを求めた。自民党側は「国政にかかわる重要な話だ」と反論。稲田氏に質問させないなら委員会を流会にすべきだと主張し、最終的には民主党側が折れた。

仙石よ鏡見てからモノを言え!by産経新聞

2010年10月17日産経新聞より引用

【政論】仙石長官は自分の姿を鏡に映したことがあるのか

仙谷由人官房長官は、自分の姿を鏡に映したことがあるのか。15日まで4日間続いた衆参予算委員会で仙谷氏がその場しのぎに繰り返したウソ、強弁、はぐらかし-を拝聴し、「他者の目にどう見えるか、よほど分からない人なのだ」と得心した。その言葉は国民を欺くどころか、自らの過去も裏切っているが、自己矛盾は感じていないようだ。

 論戦で最大の焦点だったのは、沖縄・尖閣諸島沖の中国漁船衝突事件への政府対応の是非だった。野党側は、海上保安庁の巡視船が漁船に体当たりされる場面を撮影したビデオテープの公開を強く求めたが、対応を一任される仙谷氏は言を左右にして態度を明確にしなかった。

 「テレビ報道は国民に影響力を持っている。ビデオをどのようにどういう範囲で公開するかは、もう一工夫、一ひねり考えないといけない」

 要は「なるべく公開したくない」ということなのだろうが、これは国民の「知る権利」を踏みにじる発言だ。菅直人首相が8日の代表質問で「最終的に外交の方向性を決めるのは主権者たる国民だ」と答弁したこととも矛盾する。そもそも首相は1日の所信表明演説で「(外交は)国民一人ひとりが自分の問題としてとらえなければいけない」と訴えたではないか。

 もう一つ指摘しよう。仙谷氏は政権交代直後の昨年9月20日の民放番組で何と言ったか、お忘れか。

 「戦後自民党政治は『寄らしむべし、知らしむべからず』でずっと来た。陰でこそこそという部分があるから国民が政府のやっていることを信頼しない」

 中国人船長釈放の判断について、仙谷氏は「政治は関与していない」「判断の主体はあくまで刑事司法の担当者」と繰り返した。

 だが、裁判所と異なり、検察は一行政機関である。

 「政治と行政の関係で政治がとるべき責任をとろうとしない。その辺が現在の政治家不信を生んでいるのではないか」

 こう正論を吐いたのも仙谷氏である。ウソだと思ったら昨年10月9日の報道各社のインタビューを読み返してほしい。

 とにかく仙谷氏の答弁は、真偽・事実関係よりも強弁でその場を乗り切ることを優先させる姿勢が目につく。かつて辣(らつ)腕(わん)弁護士だったそうだが、国会を法廷か何かと勘違いしているのではないか。

 「弱腰外交」と批判されると美人の形容である「柳腰」を持ち出し、「したたかで強い腰の入れ方だ」と誤用してもなお撤回しない。衝突事件を「外交的敗北」と批判されると一部の海外報道を取り出して「中国より日本の方がずっと上手だったと評価されている」と自賛した。

 ちょっと待ってほしい。14日の参院予算委で自民党の山本一太政審会長が新聞報道を元に事実関係を質問すると「新聞記事を確認する質問なんてものは聞いたことがない!」と高圧的に反論したのは誰だったか。

 仙谷氏自身も野党時代に「新聞報道によりますと」「そういう新聞報道を見たような気がした」などと何度も質問している。「語るに落ちた」とはこのことではないか。

 「私は法律家として法廷技術はある程度のところまで到達したのではないかと自負していた」

 仙谷氏は昨年9月18日、行政刷新担当相の就任あいさつで内閣府職員にこう自慢した。裁判に勝つ法廷技術は学んだが、法律家としての良心はとうの昔にどこかに置き忘れてきてしまったようだ。

 あいさつに際し、仙谷氏が職員に配布した「CHANGEのための仙谷ウェイ」と題する一枚紙にはこう記されていた。

 「間違いを認め、率直に謝ることから始めよう」

 「上から目線をやめて国民目線で語ろう」

 まずは自ら肝に銘じるべきではないか。 (阿比留瑠比)

引用終了

合邦は「七奪」どころか七大貢献だ 黄文雄(評論家) WILL10月号掲載

戦後、韓国が繰り返して説いてきた「日帝三十六年の七奪」だけでなく、「強制連行」や「従軍慰安婦」も史実ではない。
 日本政府や閣僚談話で繰り返してきた「過去の植民地支配が韓国民に多大な損害と苦痛をあたえた」も、菅総理が言った「韓国の人々は、その意に反して行われた植民地支配によって、国と文化を奪われ、民族の誇りを深く傷つけられた」も史実に反している。
 百年前の日韓合邦はあの時代の趨勢だった。複数の民族や国家がより強く、より大きく合邦をめざすのは、日本と韓国に限らず、時代の要求であり、列強時代の生き方でもあり、近代国民国家のありかただった。
 オーストリー・ハンガリー帝国だけでなく、チェコスロバキアもユーゴスラビアも、近代国民国家の元祖と言われるフランス帝国、フランス共和国も、フランスをコアにコルシカ、バスク、ブルターニュからなる合邦国家で、大英帝国もイングランド、スコットランド、ウェールズ、アイルランドからなる連合王国を母体とする合邦国家だ。
当時、全ヨーロッパだけでなく、中南米の国々までも合邦国家という国の「かたち」が時代の主流だった。日韓合邦をめぐり、日韓双方ともに、賛否両論あったが、当時の列強はほとんどが賛同している。国益から見て反対すべきロシアと清国まで賛同した。それが時代の流れであり、時代精神ともいえる。
 歴史の真実を知り、それを語り、教訓を学ぶのには、少なくともその時代その時代の精神や価値・思想の流れだけでなく、もっと以前の歴史をも知らねばならない。歴史とはあらゆる事件、事象の積み重ねで、金太郎飴ではないからだ。
 日本政府や閣僚談話で、日本は繰り返し「過去の植民地支配が韓国民に多大な損害と苦痛を与えた」と謝罪してきた。これは「日帝三十六年の七奪」という韓国側の主張に依拠するものだ。
 戦後大中華(中国)最大のヒット作「南京大虐殺」の政治的効果を知ってから、小中華(韓国)も「強制連行」と「従軍慰安婦」を創作した。
 私があえてそれを「創作」と断言したのは、史実としての根拠が極めて薄いからだ。だからこそ針小棒大に「歴史」を「政治」にしたのである。
 そもそも「強制連行」も「従軍慰安婦」も北方中国と朝鮮半島古代からの伝統風習だった。半島は統一新羅朝以来、唐軍から、モンゴル軍から、満蒙八旗軍からも侵略され、多くの生民が半島から連衡され続けた(ことに丁卯、丙子胡乱では、人口の半数も北方へ強制連行された)。清末にさえ最高実力者の大院君が、天津に強制連行された。戦後の朝鮮半島に際し、韓国から朝鮮に連行された離散家族、日本人の拉致などの史実、そして今現在でも拉致事件は中国大陸と半島の間で盛んに発生している。
 それに反し、朝鮮総督府時代、半島から日本への入国には厳しい制限があった。数百万人単位の「強制連行」などあり得ない。
 「従軍慰安婦」についても、中国では「国家事業」としてやっていたという記述が残っている。韓国にも「軍妓」や「営妓」「辺妓」として存在していた。高麗朝では一人につき化粧代として絹十二匹で宗主国へ売却している。「結婚都監」、「寡婦処女推考別監」などの軍妓、営妓選別の役所まで設けていた。古代から半島は宦官だけでなく、宗主国に「宮女」を貢品として進貢をしてきた。
 戦後韓国の国家管理売春は、むしろ日本の進歩的文化人や婦女団体によって「売春立国」と非難され続けた。
 国家事業の歴史・文化伝統を知らずには「政治」としての「従軍慰安婦問題」は語れない。
 いわゆる「日帝三十六年の七奪」は韓国の戦後世代が過去の日本について常に批判する言葉だ。「七奪」は、一・国王、二・主権、三・生命、四・土地、五・資源、六・国語、七・姓名、以上の七つが日本に奪われたという主張である。
 だが、それは決して史実ではない。これはただ白いものを黒と言い張る、韓国人の「独創」と「独断」の代表的言説だと言っていい。詳しい史実については、拙著『韓国は日本人がつくった』(ワック刊)に詳述しているので、そちらを読んでいただきたいが、以下その要点のみをとりあげたい。

「菅談話」徹底批判!WILL10月号より転載

月刊WILL10月号に掲載されていた総力大特集!「菅談話」徹底批判!●昇一先生の美女対談なる企画の転載。特に何かを思ったわけでもないけどスクラップ。

やっぱり永久に解り合えない国・韓国

渡部昇一(上智大学名誉教授)、呉善花(拓殖大学国際学部教授)対談

渡部:呉善花さんと最初に対談したのはずいぶん前でしたね。

呉:十四、五年前でしょうか。

渡部:韓国に対して物を言うにはまだまだ強い抵抗があった時代に、言論界で初めて「コリア・タブー」を破った対談でした。あの当時、呉さんは「神社は気味が悪い」と言っていましたね。

呉:韓国人が日本に来て何よりも理解できないのが神道、神社でした。当時、私は東京新宿・歌舞伎町の七階の部屋に住んでいて、窓を開けるとちょうど鬼主神社の杜が目に入る環境でした。今の時期なら蝉の声も聞こえて「いいなあ」と思う面もあるのですが、それよりも「気味が悪い」と言う方が強かったんです。
 なぜかというと、韓国は儒教文化一色、「儒教イデオロギー」と言ってもいいくらい徹底しています。儒教社会では血筋を重んじるので、先祖以外のものを拝んだり信じたりするのは、文明の低い迷信の類とされているからです。
 しかも私はプロテスタントのクリスチャンで、近くにあった韓国系の教会へ通っていたのですが、牧師さんに「日本に八百万の邪鬼がいる。この鬼たちを退治しないと日本の未来はない。教会に通っている人間はみな、神の使命を持って八百万の鬼たちを退治しなければならない」と教えられていました。

渡部:八百万の神が「邪鬼」とは驚きです。

呉:同じ教会には韓国から来た人がたくさん通っていましたので、たびたび私の家に集まって、窓から見える鬼主神社に向かって「早くこの神社がなくなって、ここに十字架が立ちますように」とお願いしていたほどです。

渡部:あの時、私は呉さんに「神社を知らなければ日本人は分からない」と言ったんです。それから呉さんは猛烈に勉強されて、今ではそこいらの日本人より神社に詳しくなりましたね。

呉:渡部先生のご指摘もあって、日本を知るために全国の神社を訪ね歩きました。今では神社本庁をはじめとして、日本各地の神社庁で講演をさせていただいています。全く理解できなかった神職の方々とも、お酒を飲むほどの仲になりました(笑)
 古くは韓国にもアニミズムの一種として、木や岩を拝むような習慣もあったのですが、ほとんどが排除されてわずが周辺に残っているだけ。そういうものは知的レベル、文化レベルの低い人間が拝む、という感覚なんです。
 ところが日本に来てみると、これだけ文化も経済も発展しているのに、霞ヶ関のビルの屋上や歌舞伎町の真ん中に神社がある。韓国人から見えば未開人の発想ですから、「反日」感情の中には常に「あいつらは未開人と同じだ」という「侮日」の感情が入り混じってくるんです。

渡部:数年前に韓国の古書学会の旅行で行った時、日本統治時代の古本をかなり買い込んだんです。その中で面白かったのが、当時のソウルでかなり役職が上の韓国人が日本に来て驚いたのは、お寺がたくさんあることだったという。韓国では仏教は最も下層の人間が拝むもので、貴族や官僚は絶対に信仰しない。ところが、自分たちを支配している先進国たる日本に来てみたら、自分たちが蔑んでいる仏教の大きな寺院が都のあちらこちらに建っているといって驚愕しているんです。

呉:李氏朝鮮時代には、仏教は国家管理下に一宗派(曹渓宗)だけしか認められていませんでした。「国家のためのもの(国家護持の仏教)ならば認める」ということで許されていたのですが、お坊さんは最低身分に置かれて蔑視され、「山にこもることしかできないかわいそうな人」という感覚でした。
 そもそも、韓国には一元的な「儒教」しかありませんから、日本のようにさまざまな宗派、宗教があったり「八百万の神」がいること自体が理解できません。私も京都へ行って、いろんな宗派のさまざまなお寺が今でも残っていることに驚き、頭が痛くなりました(笑)こんなことは韓国ではあり得ない。

渡部:しかし、儒教一色といいながら、今の韓国には教会が多いですね。

呉:キリスト教については、キリスト教文化圏でないにもかかわらず、ここのところ信徒が激増しています。今は人口の半分くらいでしょうか。その多くがプロテスタントです。カトリックはマリア信仰が強い為に、儒教、男系社会の朝鮮半島では「聖母信仰」は普及しませんでした。

渡部:日本は多元的で、儒教一つとっても朱子学、古学、陽明学など分かれています。仏教にもいくつもの宗派がある。逆にキリスト教信者はそれほど多くはない。韓国とは対照的ですね。

呉:李氏朝鮮は儒教の中でも朱子学だけを採用して、これを唯一の思想として国家を固めてきたんです。家庭の中では父が最も偉いというピラミッド型で、その家庭の倫理が社会の倫理・道徳から国の法のあり方にまで、そのまま拡張されてつながっていきます。国王を国父として頂点に置き、「みな同じ血の流れている民族である」ことを説く家族国家観ですね。
 家庭内で父親に逆らってはいけないのと同じように、国王には絶対に逆らってはいけない。年齢や地位が上の人間がどんなに間違ったことをいっても、下の人間はけっして否定してはなりません。朝鮮半島はこの二千年の歴史の間に、北方民族から一千回以上の侵略を絶え間なく受けてきましたから、多様な神々を信じてそれぞれが自由にものを考えていたら、いつやられるかわからない。多様化を許していては負けてしまうんです。

渡部:だから強烈な擬制で歴史を嘘で固めるんですね。

呉:まさしくそう言えます。それによって「国家=同じ民族」という意識が徹底されているので、韓国人はみな同じ血が流れている家族の拡大版であるかのように思っています。だから、国家元首を「国父」と呼ぶ。ピラミッドの頂点にいる人間は全ての人間の頂点ですから、精神的にも人間的にも正しいのです。
 その究極形が北朝鮮の体制です。韓国と北朝鮮はだいぶ異なっているように思えますが、根底に流れているガチガチのピラミッド社会構造は同じです。ですから、国定の歴史教科書を読んでも、一般人が反発したり疑ったりすることがないんです。
 トップにいる人間と、それを支える優秀な人間・・・昔で言う「科挙」に受かった人間が作った歴史や道徳は絶対的なものであり、そこから別の発想は生まれない。そういうことを朝鮮半島の人たちは少なくとも五百年間、踏襲し続けてきたんです。

第53回蒟蒻問答-月刊WILL10月号より転載

最近、雑誌読んでないなぁと思って立ち寄った本屋で買った月刊WILL。そこに掲載されていた対談が面白かったので転載しておく。

韓国人の乞食根性は国家の恥

堤尭、久保紘之の対談

久保:今年の夏は暑いねぇ。直射日光と蝉時雨に見舞われると、僕はいつも天皇陛下の玉音放送を聞いた八月十五日が意識の中に甦ってくる。

堤:ガキだったから、何を言ってるのかわからなかったねぇ

久保:堤さんはおいくつでした?

堤:小学校三年生かな。

久保:僕は満で数えれば四つだったけど、玉音放送は疎開先である四国の山奥の農学校に集められて聞きました。

堤:俺は疎開先の盛岡の農村で聞いていたんだけど、周りでみんなへたりこんだり泣いたりしていたから、それを見て負けたとわかったよ。村の古老が言うんだ。「さあ、これから大変だ。男はベコ(牛)みたいに鼻さ輪っかをかけられ、女子はオッパイに針金ば通されて、みんな奴隷になるんだ」とね。あの頃の天皇は普通の日本語が使えなかった。宮中用語で話していたからね。戦後、テレビを見るようになってから普通の日本語の言葉やイントネーションを知ったんだね。だからあの時はああいう耳慣れないイントネーションと言葉使いだった。それに加えて難しい漢字の羅列。大人になってもよくわからない。

久保:もちろん僕も何を言ってるのかはわからないが、ただ事ではないな、というのはガキでも感じた。僕にとって天皇の御言葉の記憶は、その意味や内容ではなくて、農学校の校庭に漂う、ただならぬ重苦しい雰囲気と、焼け付くような夏の日差し、それにすさまじい蝉の声とが常にワンセットなのです。

堤:たとえばあれを総理大臣が代弁したとする。あの時は鈴木貫太郎だけど、あれほどの効果はなかったろうね。それまで日本の国民は天皇の姿を見たこともないし、声も聞いたことがなかった。それに加えて独特のイントネーションと言葉使い。鈴木貫太郎の見事な演出だったね。
 池島信平(元文芸春秋社長)は上官に呼ばれて、「陛下は何をおっしゃったのか、解説しろ」と言われたそうだ。丸山眞男も同じ体験をしている。インテリは理解できたけど、普通の人は軍人でもなかなか理解できなかったんだね。
 敗戦を強く感じたのは、疎開先の農家に馬がいて、俺はよく裸馬に跨ってチャンバラごっこをして、その馬を可愛がっていたんだけど、翌年だったかな、その馬が進駐軍のトラックにハネられて骨折しちゃった。馬は骨折したら、薬殺するしかない。連れて行かれる前夜、馬のそばに一晩寄り添って、首を撫でたり人参をあげたり、別れを悲しんだ。進駐軍からは何の音沙汰もない。賠償なんかするはずもない。その夜だね、「ああ、負けるってこういうことか」と感じたのは。

久保:僕は終戦前後の記憶はかなり鮮明なんですよ。東京から京都へ疎開したのは三月十日の東京大空襲の一週間くらい後。家族の大半はその前に疎開し、東京に残っていたのは親父と長姉と僕の三人だけ。いっぺんに移動すると、途中で一家全滅となる危険性があったからだ、と後に親父に聞かされました。
 その危惧通り、どこかの鉄橋を渡ったあたりで、突然車内の乗客が「敵機だ!」と大声で騒ぎ出したんです。ところが車内の電灯はついたまま。なかなか車掌が電灯を消しに来ない。しかも遅れたくせに四の五の理屈を並べやがった。そうしたら親父が怒って、いきなり護身用に持ち歩いていた先祖伝来の脇差を抜いて「ぶった斬るぞっキサマッ!」(笑)

堤:なんだ、いまの久保ちゃんと似てるじゃないか。「ぶっ殺す」と「ぶった斬る」。DNAだねぇ(笑)

久保:いや、東京大空襲の直後だから、みんな殺気立っていたんですよ(笑)世が世なら親父は京都の禁裏御料地の大庄屋の十七代目当主ですからね、普段は温厚なものです。
 そのあと京都から船で親父の事業先の四国に渡ったんだけど、普通の乗客は廊下や階段に寝ていて、客室は全て兵隊が占拠して寝っ転がっていたんです。
 僕は「こら、兵隊っ!そんなことしていると戦争に敗けるぞっ!」と怒鳴りつけてやった(笑)

堤:わずか四つでそんな啖呵を切っていたわけか(笑)

久保:当時は神童と言われていましたから(笑)

堤:十で神童、十五で才子、二十すぎればタダの人(笑)

久保:いや、十五歳にはタダの人以下ですよ(笑)中三の時、街のチンピラヤクザに「おまえは度胸があるから、親分になれる」とホメられたくらいだから(笑)ともあれ、「王様はハダカだ」という話と同じで、時として直観は子供の方が鋭いんですよ。僕は赤ん坊の時、健康優良児で、荒木貞夫文部大臣の表彰状を貰った。要するに発育が良くて、年齢の割にマセていたんだ。
 いずれにしろ、わずか四歳の僕の一喝で、寝そべっていた兵隊たちはびっくりして身を起こした。何しろ、「戦争に敗ける」という言葉を大人が口にしたら、たちまち非国民扱いされたご時勢ですからね。仰天したのはお袋で、後々まで思い出しては「まるで親が言わせているで、この子だけは目を離すと何をしでかすがわかったものではない」と嘆いていました(笑)
 その中の隊長らしき人が立ちあがって、なんと僕に向かって軽く敬礼したんですよ。次姉によると、この人は「坊や、悪かったね」と謝ったんだそうです。いや、当時の兵隊さんは偉いねぇ。
 それから終戦になって間もなく、親父の経営する炭鉱に進駐軍がジープを連ねてやってきて、いきなり坑道の入り口に向かって機関銃と対戦車砲を据え付けた。しかも、坑夫のガキどもを手懐けるたけか、キャンディをバラまきやがった。実はこれを拾いに走ったかどうかで、僕らの世代ははっきり色分けできると思う。
 拾った奴らは「ギブミーチョコレート」世代。その典型は小泉純一郎です。
 僕の方はそれ以来、アメ公がパンスケをジープに乗せて嬌声をあげながら家の前を通るたびに、飛び出して行って「アメ公のバカヤロー!」と怒鳴ってやった(笑)姉もまた、そのたびに「そんなこと言うとアメリカに殺されるよ」と僕を抱きかかえて家の中へ連れ戻していた(笑)

堤:話題をガラっと変えて、日韓併合百周年とやらで、菅直人が首相談話を出した。これは例の村山談話を踏み越えている。なんせ、日韓併合を無効にするかのような口ぶりだからトンデモナイ話だ。
 なぜ日韓併合に至ったのか、歴史の沿革を菅は知らない。知っていてあの言辞なら、もっと始末が悪い。そもそも日本は韓国の独立を望んだんだ。朝鮮半島はユーラシア大陸から日本への渡り廊下になっている。ここがシナもしくはロシアに乗っ取られれば、対馬、壱岐伝いに日本が危ない。だからちゃんとした独立国の存在が望ましい。
 ところが、韓国は独立への意思を示さない。シナにフラフラ、ロシアにフラフラ。だから日本は日清、日露の二つの戦争を戦った。なんとか韓国を自立させようとするけどラチが明かない。やむなく併合となったんだ。韓国の中にも併合を望む一派がいたんだ。
 この併合について、当時の国際社会は挙げて了承した。一国の反対もなかった。シナやロシアに乗っ取られるより、日本の統治をよしとしたんだね。ちょうどいま、「オデッセイ」でもそのあたりの事情に触れている。
 そういう歴史の沿革を知ってか知らずか、菅直人は「痛切な反省と心からのお詫び」だ。おまけに、日韓併合が無効と受け取られかねない内容を盛り込んでいる。無効となれば、それを理由に韓国は賠償請求を再開させかねない。現に李明博は「評価する。お次は誠意を行動で示せ」とコメントしている。コトは韓国にとどまらない。中国や北朝鮮にも動きが出てきた。
 官房長官の仙石由人が個人補償を持ち出したけど、あれは日韓基本条約で決着済みだ。菅や仙石はことごとに不勉強で、問題を蒸し返す。ホントに困ったもんだ。

久保:菅直人の首相談話が問題なのは、何よりもまず韓国政府の「日韓併合百年」というプロパガンダに完全に乗せられていることですよ。
 その元をただせば、二十年前、旧社会党の田辺誠と金丸信が訪朝して、国交正常化や統治時代の補償とともに「南北朝鮮分断後四十五年間についての補償」、いわゆる戦後補償を約束してきたことに端を発しているのがわかる。
 この流れが民主党政権のいまも連綿と引き継がれており、北朝鮮だけでなく韓国にも戦後六十五年間の補償をしろとエスカレートしているわけです。とんでもない話ですよ。
 このシナリオを描いた確信犯的存在は仙石でしょう。なんせ、彼は国会答弁で、野党の追及に対して「私の弁護士としての経験から言っても、法律的に正当性があると言って、それだけで物事は済むのか。(日韓関係の)改善報告に向けて政治的な方針を作り、判断をしなければならないという話もある」と開き直っているくらいですから。

堤:ならば何のための条約だ。国と国の問題は条約を結ぶことで決着をつけるしかない。条約を結んでも決着したわけじゃない?条約を何と心得ているのかね。これは暴言というしかない。なぜこの暴言をメディアはもっと問題にしないんだい?

ほんっと大丈夫かな

いやぁ・・・日本大丈夫だろうか。官房長官が過去の国家間条約を無視して日本の税金を外国に配ろうとか言い出してるし。「sankei.jp.msn.com/politics/policy/100707/plc1007072049009-n1.htm(産経新聞)」いつまで戦後やってんだよ。大多数の日本人はもう過去の戦争とか知らない人ばっかだよ。俺も知らない。どうだったかを総括したり論じたりするのかいいけど、国家間であれやらこれやらとやるのは終わってんだよ。いつの話してんだよって感じだ。何の関係もない世代の人間まで巻き込むんじゃねぇよ。

もうね。殺伐としてんだよ。役所も職業安定所も。今日も求人見に行ったら応接スペースで大きな声で怒ってる女性がいたよ。「申請が通るか通らないか月末ギリギリになって通知されても困る。月末なんかに言われてもこっちは何も出来ない」とかなんとか言ってたよ。もう切羽詰ってんだよ。俺も含めた一部の人は。もうね。並んでるのも嫌になる。そりゃ並ぶけど、並んでるのか並んでないのかわからないような場合は横から職員に話しかけて事を進めちゃうもんね。

という事とは別にですよ。今、景気はホントに回復してんですかね。都市のテナント空室率が上がってるとか、大阪の一等地の地価が下がったとか言う割には日銀の景気判断は緩やかに回復だっけ?まぁもう日本銀行の景気判断なんか誰も気にしてないし、信用もしてない気がするけど。まぁ景気がどうのこうのなんて貧乏人には関係ない話だろうとは思うんですけどね。昔みたいに皆が良い思いできる時代は見果てぬ夢だろうと思いますよ。ただ、仕事しようと思ったらあるかどうかは景気に関係あると思うからさ。

で、景気が緩やかにでも回復基調にあるんなら増税とかアホかと思うんだが。これで回復の腰が折れたら失政だと言われても仕方ないよ。増税は国民の許しがない限りしないとか嘘だろと思うよ。そんなだったら金輪際増税なんか出来ないぞ?嫌でもやるんだろうけど、今じゃないだろ。いずれ増税は仕方ないとは思うけど今はやっちゃいかんだろう。でも新聞見ても消費税増税に賛成とか言ってる人いるんだよ。不思議で仕方ない。生活困らないリッチな層なんだろうけど理解不能だ。国の借金は返さないと・・・とか言うけどさ。今すぐなんとかしなけりゃいかんほどのことじゃないだろ。

家計やら企業経営と比較して論じる人もいるけど、だったら中で働いてる人の給料をこれ以上駄目ってくらい削れって話だわな。そもそも、そんなに背に腹は変えられない状況じゃないだろ。国家財政なんか赤字くらいがちょうどいいんじゃないのかと思うよ。政府は国内で金を調達してんだからちょっとくらいいいじゃないかよ。家計で言ったら親兄弟から借りてるようなもんだよ。今失業中で収入少なくて苦しいからちょっと待ってって言ったら嫌とは言われないだろ。身内からの借金でも早く返さないといけないってのは日本人の真面目さで良いと思うけど、苦しい時に無理して返しても何が何やら。元の木阿弥になるだけではないかな。

これがサラ金やら銀行やらに借りてたら待ってくれなんて通用しないだろうから大変だけどさ。親兄弟に借りてるんだから問題ない。国内で借りてるって事は国民から借りてるってことだろ。外国から借りてるわけじゃないんだからいいじゃないかよ。細かいこと言わずに景気刺激してくれよ。景気がいいとか悪いっていうことより、国民が安心して暮らせる社会作ってくれよ。老後が心配だのなんだの言ってみんな足元気にして生きるような国を変えて欲しいわ。

高度成長期って経済が良くなってるのもそうだったろうけど、金ある人もない人も明るい未来が平等に見られたから活気があったんだと思うんだよな。将来どうなってんだろ・・・とか不安に思ってたら景気が良くなった悪くなったとか言いながらでも背中になんか重いもの乗せられてるようで下向きにもなるわな。国民が明るく暮らせるような国を描いて作ってくれる政治を望みますよ。増税だの戦後保障だの政権交代してまだ間がないだの訳のわかんないことばっかり言う民主党は個人的に大嫌いです。別に民主党に限らずそういうビジョンを国民に説明できてる政党があるかって言ったら・・・ないよなぁ

それが今の日本の閉塞感になってんじゃないだろうか。
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