>「患者が感謝してくれない」肋骨折った看護師が動機供述(sankei.jp)
sankei.jp.msn.com/affairs/crime/100313/crm1003130016000-n1.htm
世の中では色んなことが起こっているもんだ。「事実は小説より奇なり」と言うそうですが、個人の創作以上に人間ってのは様々な問題を起こすんだなと上記の記事を見て思ったところです。人間の夢とか希望なんてものは想像の産物ですからそれが次々に実現していくなんてのは当たり前な事なのかもしれません。
このニュースは26歳の女性看護士が高齢患者の肋骨を故意に骨折させたというニュースです。こんな看護士がいるんだ!もってのほかだ!安心して入院してられないじゃないか!とかは別に思わないんです。大多数の人は優しいというか仕事として割り切っている人がほとんどでしょうし、純粋に看護士としての仕事をしてらっしゃる人が多いでしょうから。
心に悩みを抱えていたとか、人間関係で悩んでいたとか。まぁ理由はいろいろあるんでしょうが、何をやっても理屈こねてもやったことが反社会的である以上正当化されないというか、社会的責任は軽減されないものだと思うわけです。同情を買うって目的があるなら別ですが。要するにこういうのを社会不適合というんでしょう。
多くの人は理不尽であろうがなんであろうが我慢なり自分の中で消化吸収するなりして何とかやってるのが社会ですから、それが我慢できないとかルールを破ってでも逸脱した行動をするような人は社会に適合出来ていないわけです。そういう人は潜在的にはもっと多いんでしょう。それが所謂ストレス社会といわれる理由なのかもしれないですが。
何でストレスを感じるかですが、そういうのって教育の段階というかそういうもので固定化されるものだと思うわけですよ。家庭の教育もあるんでしょう。一般的に裕福だとか関係なくですけど、子供が我慢する事がないわけですよ。まぁ当方でもそんな環境で育ってきたと思います。そもそも子供中心の家庭運営というか、子供は無意識ですが「自分中心に家庭はある」と思い込んでしまうところがあると思います。まぁ実際そうなんですけど。
可愛がることと甘やかす事の区別の出来ない親が多いんではないですかね。線引きは難しいですが本能に従っていれば甘やかす事なんてほとんどないような気がしますけど、意識して可愛がろうと思うと甘やかしが出るような気がします。そりゃ社会が子供の権利だの人権だの体罰は禁止だの言うからおかしくなるんであって。子供殺すようなキチガイと躾をする親の区別もつかないわけですわな。
学校教育でも平等だなんだと勘違いしてるのかさせてるのかわからないですがおかしなことをしてるんだと。まぁ確かに平等は大事ですよ。当方も平等でなければ困るし、平等を望みますがあくまで機会の平等であるべきで、結果が平等であるわけがないというのを教えないとダメではないかと。出自に関係なく平等な機会はあるが結果は平等ではないですよと。現実的には親の経済力でそれなりのアドバンテージはあるわけですから。
「他所は他所!うちはうち!」ってよく親にも言われましたが、そういう理不尽さ加減が現実なわけですよ。子供時分は自分ではどうしようもないような理不尽な差があるわけです。そんな現実がありながら、あたかも結果平等が当たり前であるかのような教育はすべきではないですよ。教える人が結果平等を信じていてもそれはその人の理想ですから弁えるべきでしょう。子供は否応なしに現実に飛び込んでいくわけですから。
なんか、社会にうまく適合できない人が多いのは大人の責任ではないだろうかと。というより、社会がおかしいと言われるような時代は大人にそもそもの原因があるだろうと。自分だけはじゃなく社会がおかしいんだから、それを見過ごしたり良しとした大人全員の責任だろうと。そんな大人になりたくないと思いながらそんなに自分は強くないんだろうなぁと思う今日この頃。

